私は毎日、お腹が痛かった。
朝起きて思うのは、「あ、今日もお腹が痛い」だった。
その痛みは、歩けないほどではない生理痛のような痛みでもない。ただただジーンとお腹全体がぼんやりと痛む。そんな痛みだった。

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ストレスなのか腸過敏性というやつなのか分からなかったけど、検査はしなかった。何故なら物心ついた頃から痛かったから、「皆、この痛みを抱えている」と思っていた。
と言うのも、お腹が痛いと言って連日早退を繰り返す私に、母が怒ってこう言ったのだ。「まーちゃんだけがお腹痛いんじゃないんだよ!」と。
その時私は、皆この痛みに耐えているのに私だけ耐えられていないのか、と幼心に衝撃を受けた。そこから皆等しくお腹が痛いけど毎日を生きていると思っていた。
本当に心の底から思っていた。高校生になってもずっとそう思って生きていた。

それが私の当たり前だったのだ。
だけど時々、動けないくらいギューッとお腹が痛んで、一瞬歩けなくなる事があった。でも、本当に一瞬なので何とか日常生活は送れていたが、この痛みが一瞬じゃなくなったら私は地獄を見るだろうな、と思った。
そしてその地獄は、成人してから度々現れることになった。

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真夜中、お腹が痛くて目が覚める。動けないくらいに痛む。どこを向いても擦ってもまるで効果が無い。痛くて痛くて身じろぎも出来ない時間帯もある。痛みで意識が飛んで、また痛みで意識が戻る。その繰り返し。転がる様にベッドから降りてトイレに向かっても何も出ないし、座る事さえ困難で吐くことも出来ない。
1人の部屋でただただ痛みに耐える時間。その時の私に救急車を呼ぶ頭は無い。だってこれはいつもの腹痛の少し酷いやつ。みんな抱えている痛み、そう思っていたから。
朝方、ヘロヘロになった私は仕事の用意をする。その時にはだいぶ痛みは引いていて、地獄を乗り越えた……もう2度と来ないでほしい、と願いながら出かけた。
しかし願いも虚しく、その痛みは半年に1回のペースでやってくるようになる。

そんな数回目の地獄の後、痛みが中々引かない日が訪れた。私は近くの個人経営の内科に行って診察をしてもらった。

穏やかそうな男性の先生が一気に顔が青くなって、私は大きな病院に運ばれた。その時は立って歩けてるし、そんな酷くない状況だったので自分で行ける、と申し出たけれど、「どうか動かないでください」とまるで爆弾でも抱えているかのような言い方をされ、大人しく救急車に乗り込んだ。
意識がはっきりしている状態での車内は死ぬほど気まずかったが、その後、私は先天性の内臓奇形であると診断された。

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細かく言えば、本来固定されているはずの大腸が固定されていなくてぐちゃぐちゃの状態で、腸ねん転を起こしていた。長いバルーンで犬とかお花を作る時にグルグル風船を巻くみたいな要領で、私の腸は捻じれていた。しかも、通常の腸より3倍ほど長く腸管も膨れていて、しっちゃかめっちゃかだった。
なんと腸ねん転を起こした腸は2、3時間で捻じ切れてしまい、出血多量で死に至るらしい。ようやく、私は自分が死にかけていたことを知った。しかも何度も。
どうやらあの地獄の時間に私の腸ねん転は治っては捻じれ、捻じれては治ってを繰り返していたらしい。

自分の体の事はある程度分かっていたつもりだった。だけど、それをきっかけに私は全然自分の体のことを知らないんだと思い知らされた。
よく考えれば、私は自分の心臓の場所も分かっていなかった。私の心臓は真ん中にある。左にあるって思っていたけど、私はソレさえ違った。爪だって髪だって勝手に伸びているけどどうやって伸ばしてるのか知らない。体と向き合う事、それは私にとって生死と直結している事だったのに……。

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現在は手術のおかげで痛みから解放された。嘘みたいに無痛の「普通」の日々を送っている。だけど、手術痕でおへそはでべそのようになってしまった。
自分にとってそれが必要だったとしても、少しだけ悲しい。しかし後悔は無い。この傷も私の証なのだ。

あー、でもやっぱり、自分があれだけ痛みを出して警告してくれてたんだから、ちょっとはその時に向き合ってやればよかったなぁ、とそこだけが悔やまれる。
もし、何か痛みが生じたら、これからは世間の普通とか常識とかと照らし合わせる事なんてしないで、自分の声を真っ直ぐに聞いてやろう。