いっそのこと、結婚でもして子どもを生んでしまえば、夢を諦められるのにな。
そんなやけくそな未来を考えている28歳フリーター。
職場では30代パートママさんが多い。子どもの小学校が夏休みになるからあれそれをどうしよっかぁなんて話をきくと、独身パートナーなしの私からすれば、忙しくていいなぁという感想なのである。

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仕事も別に好きではないし、生活の為にしている。けれど本当は好きなことを仕事にしたい。しかし私の好きなことでは服一枚すら買えない程度の収入にしかならない。
余暇活動をする気力もなく、たまにゲームをしたり動画サイトで世間情勢をつまむだけで休日が終わる。スキルを活かす仕事の為、時給はいいものの、常に働いていないとならないフリーターをいつまでも続けていたくない。

なんとなく生きている感覚がぬるくて気持ち悪い。きっと私は、人生における目的がないのだとおもう。
とりあえず結婚して、なんでもいいから“私はこのために仕事をする”という目的がほしい。
子どもは欲しいと思う。普通の家庭というのも悪くないじゃないかと思うのだ。

そして結婚してくれるひとならだれでもいいとも思うが、結局相手を選んでいる自分がいる。子どもを育てるには、収入のしっかりとしている男性パートナーを求めるのは自然なことだろう。だが、そんな相手を探しに行く苦労もしたくない。
それならば、仕事に出かけていた方がいいのである。だって先立つものは少しでもあった方がいいから。

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子どもの頃は期待されていたのだと思う。私は大人が好きだったし、大人に囲まれて過ごしていた。
特に幼少期は貧乏ではなくて、欲しいものは買ってもらえてたくらいの家庭。
あのころは漠然と、好きなことをしているのが仕事だと思っていたし、漫画家になりたいと思っていた私はいつもなにかしら描いていたと思う。

しかし現実は、生活の為に割り切って仕事をする日常だった。やりがいのある、なんて多少のモチベーションになるが、そんなものはどうでもよかった。
学生の頃はいろいろなことが楽しかったし、絵だって得意でいられた。本当は絵の学校とか行ってみたかったし、医学部、航空学科、法学部とかにも行きたかったけれど、とかく学生の頃は勉強をしなかったものだから、高校3年生のときに、好きなことで食っていく人生をあきらめた。

ただ、好奇心をくすぐられるような領域にいければ何でもよかったのかもしれない。
中学、高校の勉強は、あまり面白くなかった。でも、小論文講座は唯一、面白く感じた。

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衣食住がノーコストで成り立つ環境が学生だった。なにかに没頭できる時間のおかげで、私は様々な夢を思い描いた。どんな漫画を描こうか、読んでもらった時の喜びとか、感想を伝えてもらったときとか、学生時代のあの悠然と過ぎた12年間で純粋な人情というものを学んだのだと思う。人間の開発したものとか、人間そのものが好きだったんだと気が付いたのは最近のことだ。

人間の事がわかれば、世の中がわかる。なんとなく、予想できないことがないような気もしていた。
それぞれ、どんな大人として大成していくのだろうかと、今後に思いを馳せていたが、社会とは何とも地味で、覚えられないことばかりで、いつまでも同じことの繰り返しで、淡々としている。

私はもっと、スケールの大きなことをしたかった。大人はみんなすごいことをやっていると思っていた。
しかし、今日国を動かしている有名な事業や企業は全部昭和時代につくられたもので、私らの世代はそのレールの上に漫然と何だかわからない貨物を運ぶだけの人員でしかないとも思えてくる。
もうすでにありふれた時代に、私が私という存在をどう活かしていこうかなんて思えば、ただ身体をうごかしてルーチンをこなすことしかできないではないか。

いまだからこそ、学生として学びたい。技能を身に着け、後世にのこせるなにかに邁進したい。
しかし、生活をするだけで精一杯のわたしでは、また受験勉強をするだけの時間は労働に充てなければならない。

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結局、子どもの頃に夢を志しても、才能があったとしても、20歳を過ぎればただの人ということなのだろうか。
ただの人となってしまったら、今後一生、この生活環境のなかで過ごしていくしかできないのだろうか。

大人になると様々なことを知る。知ると、もっと知りたいという好奇心が生まれる。
しかし、興味、関心をくすぐられる出会いがあったとしても、その知識を深めていくことができない。
専門的なところで、飛躍したい。たった一つでいい。何かを成したいのだ。
知らない自分に気が付く瞬間というのは、なんとも言えない可能性を感じられるものだ。
無限と言われる、途方もない世界に行ってしまいたい。しかし行くならば先人の教えが必要だ。
そうして今までわかってきたこと、その先に行きたい。その偉大なるたった一歩に貢献したい。

このままでは終わりたくないと思う人間は、私以外にいないのだろうか。
ありあまる好奇心を持て余す人間は、きっと世の中にいてくれることを期待したい。