小学6年生のとき、親から「春香は上海についていきたい?どうしたい?」と聞かれた。
私の家族は転勤族でしょっちゅう日本と海外を行き来しており、中学に上がる直前、急遽上海駐在が決まったのだ。そのとき、私は迷わず「上海に行きたい」と伝えた。
本当は苦しい中学受験を経て、4月から私立中学校への入学がすでに決まっていたのだが、それでも私は絶対に上海に行きたかった。海外に住めるチャンスがあるのならば、過去の努力を蹴っても住んでみたい。新しい世界に飛び込んでみたい。
今回はそんな勇気ある12歳だった自分の人生を変える決断に感謝したい。
言葉も分からない上海での生活。素直に中国を受け入れた
12歳のとき、私は日本の小学校を卒業し、そのまま上海に渡った。あまりに突然駐在が決まったため、中国語が全く分からない状態で上海生活のスタートを切った。
たとえ国際都市の上海であれ、中国社会では中国語(標準語)か、上海語や広東語などの方言しか、通じない。だから最初は漢字を読んで何でも推測しながら生活していた。
たとえば飲食店に入った時、なんとなくメニューの漢字を見て、オーダーをした。本当に何も分からない、何も通じない世界に飛び込んでしまったのだ。
ところで上海で教育を受けるとなると、現地校、日本人学校、インターナショナルスクールという三択だったのだが、私は親に頼んでインターナショナルスクールに入れてもらった。
これも勇気ある行動の一つである。私は中国語だけでなく、英語も学びたかったのだ。
姉が日本の高校に通うために日本に残ってくれたおかげで、学費が目玉が飛び出るほど高いインターナショナルスクールに通わせてもらえた。
私の父は比較的小さな会社に勤めていたので、会社からインタナショナルスクールの学費は出なかった。だから親が私を本当に愛してくれたから、英語と中国語を同時に学べる環境に身を置くことができた。親と姉には本当に感謝している。
学校に通ってから、毎日中国語で中国語のレッスンを受けていくうちに、私の語学の才能は一気に花開いた。私は耳がとても良いようで、難しい中国語の発音をまるで中国人のように正しく綺麗に発音できた。
中国語では巻き舌といって、舌をロールケーキのように、くるっと巻いて発音する音がいくつかある。日本語には全くない舌の使い方なので、多くの日本人は巻き舌に大変苦労する。しかし、私は若さと言語のセンスに恵まれて、綺麗な発音を習得できた。
エリック・レネバーグの「臨界期仮説」によると、言語の習得は12歳までだと言われている。私はギリギリ12歳という年齢で中国語を学んだから、こんなにもネイティブっぽく、流暢に中国語を話せるようになったのだと思う。
さらに、私は中国で生活していくうちに、語学だけでなく、中国文化や中国人への愛が芽生え始めた。
まだ小学校を卒業したばかりで、中国の共産党や毛沢東のことを知らなかった私は、中国のことをよく分からないまま生活していた。もし大人になって上海に住んでいたら、日本のニュースを見て、「中国は共産党政権だから危険だ」という色眼鏡で中国を見ていたかもしれない。
だが、子供だった私はいい意味でとても無知だったから、偏見なく中国を受け入れることができた。だからやはり中国に行こうと思えた昔の自分は、とても正しかったと誇りに思う。
中国のアイドルを応援し、中国人のコミュニティに参加する
現在私はすでに社会人なのだが、中国語のおかげで趣味や人との交流が広がっている。
まず趣味として、中国のアイドル育成オーディション番組を観ることが好きだ。中国の番組は英語字幕はあっても、日本語字幕はなかなか付いていないため、中国語ができないと内容を理解するのが難しく、楽しむことができない。中国語が分かるからこそ、中国のアイドルや歌手を応援できている。
さらに、中国語ができるおかげで中国人コミュニティーに参加することができる。最近ではMeetUpという交流サービスを利用して、中国語サークルで中国人と中国語で仕事の話をしている。
コロナ禍であっても、日本にいながら中国人と交流できる環境に心地よさを感じている。なぜならば、中国人は初対面の人でも、中国語が話せればまるで家族か、昔から親しい友人のように、接してくれるからだ。
それに、中国人はとても気前が良く、世話好きなため、たくさん食べ物を分けてくれたり、物をくれたりする。特に中国では食に対する意識が日本よりも高く、食べ物は誰にでも分け隔てなく与える傾向がある。私にはそれがすごく寛大に思えて、とても面白い。
第二外国語で中国語を学んでも、こんなに好きにならなかったかも
3年間の上海生活経て、私は新しく生まれ変わった。もし12歳のとき、上海に飛び込んでなかったら、今の自分は確実にいなかったと思う。
中国語を習得したから私には中国語という言語の世界があるけど、もし中国に行ってなかったら、絶対に存在しなかった。もし仮に第二外国語として中国語を学んでいたとしても、こんなに中国という地域を、中国語という言語を、そして中国人という人間を好きになってはいなかっただろう。
小学6年生の私、本当に、本当に、ありがとう。
あなたのおかげで私は今、楽しく生きていられます。