私は断れない性格だ。
人から頼み事をされたら、ちょっとしんどいと思っても、笑顔で快諾してしまう。飲み会に誘われたら、本当は休みたいのに、どうしても断れなくて予定を入れてしまう。そしていつも、自分の時間がなくなって後悔する。

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他人は私を「優しい性格だ」と評価する。でも、本当にそうなのだろうか。
ただ断った時の相手の悲しそうな顔を見るのが怖くて、同時に嫌われてしまうのが怖くて、条件反射的にノーが言えないだけじゃないか。それってただの思考停止で、結局は守りに入っているだけじゃないか。
そんな風に考えていくと、ある事実に辿り着き、私はショックを受けることになる。私って、大して優しい人間じゃない。その上自分のことを一番蔑ろにしている。

大学生の頃、信じていた人に裏切られるという経験をした。
授業で隣り合わせたことがきっかけで、仲良くなった友人がいた。その人とは、人生の悩みについてなど、結構深いところまで話ができた。貴重な友人ができたと思った。よくある上辺だけの付き合いじゃない本当の友情のような気がしたし、これまでにない幸せを感じていた。
でも、実際は彼女の所属している団体への勧誘だったのだと、後から知ることになる。彼女の笑顔は、私自身に向けられたものじゃなかった。彼女の目に映る私は、救われなければならない可哀想な人、だった。要するに、私はただのカモだったのだ。

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人のためってなんだろう。お天道様が見ている。人に優しくすれば、自分に返ってくる。祖母にそう教わった。だから人のために働きなさいと。高校の時に、利己的遺伝子の考え方も学んだ。人は子孫繁栄という自分の利益があるからこそ、人に優しくできるのだと。
それじゃ、本当の優しさなんて存在しないのだろうか。自分のためではなく、100%相手のために行動することなんて。
よくわからなかった。優しいと思っていた人の本性を知って、何もわからなくなった。優しさってどういうことかわからなくなった。

でも、自分にだけは、偽りのない愛を与えることができる。
そう気付かされたのは、音楽配信サービスのストリーミングから不意に流れてきたある曲だった。
それは、椎名林檎さんの「この人生は夢だらけ」。まるでミュージカルのように、華やかでお洒落なサウンド。身を任せているうちに、ある言葉が耳に入り込んだ。
「私の人生は、誰のものでもない」という歌詞。目が覚めるような心地がした。その瞬間、私の心に一筋の光が差しだ。
なんて力強い言葉だろう。今までそんな風に思ったことがなかった。人に迷惑をかけてはいけないし、謙虚でいなきゃいけない。それが私にとって正しいことだった。いつからか、他人のために優しくしていなきゃだめだと、そう思うようになっていた。まるで強迫観念のように。

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でも、それで人に騙されて、結局のところ辛くなって、自己嫌悪に陥るくらいなら、いっそ自分のために生きても良いじゃないか。
だって誰のものでもない私の人生なのだから。

その言葉は、思いがけず過去の私をまるごと肯定した。断ることができない自分も、別に悪くないと思った。だってそれが自分だったから。それで嫌な思いをしたなら、その時は笑い飛ばして忘れちゃえばいい。そして次からは、もっと自分のやりたいように生きればいい。
自分を簡単に変えることはできない。だからこの曲と出会ってからも、断れなくて後悔した出来事は数えきれないほどあった。
それでも、ちょっとずつ、変わっていけばいい。この言葉があれば、どんなことがあっても怖くない、そう思えるようになった。