「夏が来れば海に行ける!」
とある海なし県に住んでいた私は、海の日が近づくと決まってそわそわしていた。
クラスの変わり者で、生き物が大好きだった。
女の子たちが、少女漫画や流行りの洋服(当時はメゾピアノが流行っていた)に話を咲かせる中、男の子たちにまぎれて虫取りにいき、図書館にいっては図鑑を喜々として読みふけっていた。
生き物が大好き。特に海にぞっこんだった小学生の私
そんな私がとりわけ好きだったのは海の生き物だった。
きっかけは、「魚類の生態図鑑」というマニアックな本だった。分厚いページをめくりながら、この摩訶不思議な生き物たちを一目見てみたいと思いを馳せていた。
両親は夏休みになると、毎年海に連れて行ってくれた。
私は待ってましたとばかりに生き物さがしに熱中した。
ためらいなく岩場に手を突っ込んで、カニを捕まえ、イソギンチャクをつつき、なんだか良く分からない魚を網で追いかけまわした。
そしてバケツのなかに小さな自分だけの水族館をつくって、じっとうごめく生き物たちを観察していた。けして飽きることはなかった。
砂浜を歩くことさえ、ちょっとしたアトラクションだった。
貝殻やら、シーグラス、変わったお饅頭型の殻(後で調べたらウニの殻だった)をたくさん拾った。いつも持ち帰るビニール袋をパンパンにして。
そして夕暮れ時に、家族そろって散歩をよくした。
空と海の境界線があいまいになる地平線に目をこらし、あの先には一体何があるのだろうと、子どもながらにロマンチックなことを夢想していた。波の音が穏やかだった。
ただただ何も考えず、海にひたすらに没頭していた。そしてたまらなく楽しかった。
好きはいつしか夢に。しかし現実は厳しかった
そんな少女時代を過ごし、必然的に将来生き物の研究者になりたいと考えるようになった。研究者になって、好きなだけ生き物にのめりこんで、この奇妙で美しい生物たちの謎を解明するのだと意気込んでいた。
大学に進学し、いよいよ本格的に研究に取り組むことができる、そう胸を膨らませていた。
だが世の中はそう甘くはなかった。
研究室に配属されると、私は、自分よりずっと優秀で熱心な周囲に圧倒され、レベルの違いを痛感した。自分の知識も、熱量も、趣味に毛の生えた程度のとてもお粗末なものに思え、劣等感に苛まれた。閉鎖的な研究室での人間関係にも苦しんだ。ただただ必死で、周りが見えずに空回りばかりして、意味不明な行動をとっていた。
しまいに、心を病んで休学せざるを得なくなった。
卒業した私は、逃げるように生物などなんの関係もない一般企業に就職した。
大好きだった海も生き物も、辛い記憶を呼び起こす引き金になってしまった。全部遠ざけ、避けるようになった。
あんなに好きだったものを、もう純粋には楽しめなくなってしまった。
研究者になれなかったことよりも、それがなにより一番悲しかった。
いっそ最初から好きになんてならなければよかった。こんなことになるんだったら、美しさも、面白さも、なんにも知りたくなんかなかった。
あの夏のただただ純粋で、心から楽しんでいた女の子の存在を、私は忘れようとした。
夢が叶わず、海を避けていた私に転機はふいに訪れた
転機があった。今年の4月に某県に異動になった。海が近く、車で10分も行けば港にたどり着いた。休日は、散歩をすることが趣味だった私は、なんの気なしに海へ行った。
波打ち際で、無邪気に遊ぶ子どもたちが目に入った。
昔はああしてよく遊んだっけ。服が濡れるのも構わずはしゃいでいた。
波の音をBGMに、ひたすら砂浜を歩いた。
昔歩いた砂浜と違って、落ちているのは、流木やゴミばかりで、貝殻は一つもない。
透明なブルーの人工物が目に入って拾い上げてみると、小さなシーグラスだった。
手でころころと転がしてみれば、ソーダ味のグミみたいに見えた。私はいつしか夢中で拾い集めていた。
いつのまにか、片手で持ちきれないほどになった。
戦利品を満足げに見つめたが、どこか物足りなくも感じた。やっぱり、いろんな貝殻を探したい。もっと珍しいやつを集めたい。
あの時みたいに。
その海岸には岩場もなく、水面に目をこらしても何の魚影も見えなかった。
波打ち際をちょろちょろする小さなカニ一匹も見当たらない。
体がうずうずした。また生き物を追いかけたいな。
海と生き物を愛していた。あの時の私は、まだ私の中にいた
どんなに暗い記憶で上書きされようと、あの夏の思い出は、私の中にひっそりと生き続けていたらしい。
気づけば、ネットで貝殻拾いができる砂浜や、岩場のありそうな海水浴場を調べていた。27にもなってとか、しかも女一人でとか、頭の中の世間は文句を言ったが、それに耳も貸さなかった。衝動に突き動かされていた。
もういいじゃないか、いい加減自分の好きなことを好きなようにしても。
もうあれこれ口を出してくる人間は誰もいないのだ。
好きになり方も、その表し方も人それぞれだ。
誰かの好きと比べて、一喜一憂するんじゃなくて、もっと自分の好きを大事にしてあげればよかった。
あの時とは違う、でも同じ海を見て、私はようやくそう思うことができた。
あの夏、子どもの私は確かに海と生き物を愛していたのだ。
どんなに、挫折し、劣等感に苛まれ、ついには忘れようとしても、その気持ちはずっと残っていて、そして私の大切な一部だった。
これからまた私のやり方で楽しめばいい。
バスの時刻表を検索する。営業所経由で海岸にいけるらしい。
私は古びたバックパックを引っ張り出した。
今年の夏は、いつもと違ったものにしよう。