夏と言えば、夏休み。夏休みと言えば、終わらない宿題。進まない就職活動。始まる前のワクワク感とは反対に、苦い思い出のある大人は多いかもしれない。今日は私もひとつ、そんな話をしてみようと思う。

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大学生の頃の話だ。夏休みに祖母の家に遊びに行った私は、あることを思いついた。
「そうだ、あの劇場に行ってみよう」
今なら、大好きな女優さんが出演中の舞台をやっている。そう気づいてしまって、いてもたってもいられなかった。チケットはないけれど、せめてあの場の空気を吸いたい。その一心で、劇場へ向かった。

ロビーに入ると、公演の大きなポスターが貼られていた。
「ああ、本当にやっているんだ」
それまでSNSの情報でしか触れたことのなかったものが、目の前にある。今、この場所で、一生懸命に上演している人たちがいる。その事実を見られただけで、心が躍った。
ソファーに座って、お客さんを眺めてみる。老若男女、様々な人たちが行き交っていた。これだけ多くの人が、この舞台を観たいと思って集っているのだ。それは、奇跡のようなことだ。

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「私は、なんて素晴らしい人を好きになったのだろう」
そんな、幸せな気分だった。私は、大好きな人のいる劇場の空気を胸いっぱいに吸い込んで、外に出た。
街を歩けば、目に飛び込んでくる人や景色がキラキラして見えた。

「私、今、生きてる!!」
そう叫びたい気分だった。
次の瞬間、ひとりでに涙が溢れ出した。気づいた時には、出てきたばかりの劇場の前で、人目もはばからず、ぼろぼろ泣いていた。
私は、わけがわからなかった。
「なんで?なんで今、こんなところで泣くの?」
どうしても、涙が止まらなかった。
そうして立ち尽くしている間にも、公演を観終えたお客さんやら、関係者やらが私の前を通り過ぎて行く。誰もが、何かしら私に対して戸惑いの目を向けていた。恥ずかしかった。私は、完全にイタい人だった。

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ひとしきり泣いた後、ぼーっとした頭で必死に考えた。
心当たりがなかったわけではない。そもそも、チケットを持っていないのはわかっていたし、それでも良いからここに来たいと思ったのだった。目的を果たせて、幸せな気分のはずだ。あまりに幸せだと、人間泣けてくるのか。
それとも、街のキラキラに酔ったのか。出不精な私のことだから、ふだん見慣れないものに驚いたのかもしれない。

そして、気づいた。私は、悔しかったのだ。チケットを持っていないことも、劇場にいられないことも、街がキラキラしていることも……。
何もかも、悔しかった。本当は、私だって公演を観たい。劇場に入り浸っていたい。そしてなぜか、何よりも、この街に暮らしていないことが、悔しくてたまらなかった。何かに負けたような、打ちのめされたような気分だった。だからあんなに、涙が止まらなかったのだ。
それにしても、なぜ急に、あんなにも気分が変わってしまったのかは、わからなかった。確かに、幸せだったはずなのに。その悔しさは、うまく説明できないまま、私の心に刻まれた。

人間とは、複雑で不思議な生き物だ。だから、わけがわからないようなことも、言葉にできないことも起きる。そんなことも含めて、様々な経験をして成長していく。そういうものなのだろう。

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最近は、あの日のことを振り返って、
「若かったんだな、私」
と思うようになった。もちろん、今でも観劇は大好きだ。お出かけだって、叶うものなら、したい。

でも、大人になった私は、今ある幸せを最大限味わうことも覚えた。それは、決して負け惜しみなんかではない。心からの幸せを、あきらめる必要などないのだ。
なんといっても、家にいながら楽しめる、ライブ配信。忙しい私の、心強い味方だ。どんなに時間がなくても、離れていても、大好きな人に会える。いい時代になった。
そして、SNSのチェックは欠かせない。ご本人からの情報はもちろん、雑誌に載るとわかれば、ファンとしてはお祭り騒ぎだ。できる限り手に入れて、家でひとり読みふける。それだけで幸せだ。

大人になって、時間も気力も体力も、限られていることに気づいた。だからこそ、今できることをして、幸せでいたい。仕事も、生活も、好きなことも。それは間違いなく、あの日流した涙が、私に教えてくれたこと。
「今のあなたは、幸せ?」
そう聞かれたら、自信を持ってイエスと言える、そんな人でいたいから。
今日も私は、あの日の私と、生きていく。