3年間の教員生活のうち、私には一つの企みがあった。表現としては、夢や望みの方が近いかもしれない。それは、とっても先生らしくない「変な先生になること」だ。

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大学で教職課程を履修しながらも、なんでこんなことしているのだろうと何度も思うくらい、私は教員に憧れていなかった。今までの人生を思っても、どちらかというと先生という生き物が嫌いだった。
偉そうで、いつも自分が正しいような口調で話し、言葉に色や面白味を感じられない。しかし、私が幼いが故に見方に偏りがあったことも否定できない。現に、教員として働いて出会った先生方は、多くが生徒思いで素晴らしい人間性を兼ね備えていた。それでも、学生時代に感じた違和感を完全に拭い去ることができなかった。
「先生らしさ」は彼らの言葉や態度に見られたし、その度に先生らしくない先生になりたい気持ちは強くなった。

私が1番最初に教壇に立ったのは、大学を卒業した翌年だった。
高校1年生の担任として、36名の女子を担当することとなった。入学式の事前準備で、教室の最終見回りをしていると、ふと涙が込み上げてきたことをよく覚えている。
たった22歳の新米が、これからの1年間を見守ることになる。私のクラスの子たちはなんて不憫なんだろう……そんなことすら考えた。
じっと夕焼けに染まる36セットの机を眺めているうちに一つの考えが浮かんだ。
「今の私に『先生らしく振る舞うこと』は不可能だ。だったら、思い切り等身大の私で子どもたちと関わろう」
こうして、私の教員生活が始まった。

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まず服装。ほとんどの先生はスーツを着崩したようなスタイルだったが、私はセーターやロングスカートなど、普段の自分とそれほど違和感がない服装を選んで着るように努めた。長期休業期間中は、業務に差し支えのない程度にネイルも楽しんだ。その後、一度本当の社会を知るために一般企業に転職をし、2年前にまた教壇に戻ってきた。
この一般企業で働いた時間は、私を更に「変な先生」に変えてくれたと実感できた授業がある。それは中学3年生の少人数クラスを担当することになった時だった。
私は自己紹介をした後に、生徒からの質問に合わせて、関連する心理学や哲学の話をした。しばらくすると男子生徒の一人が「先生って何者?」と、怪訝そうな顔で私に尋ねた。
やった!そう!これが私の求めた私自身の姿だった。学校の中では出会えなそうな存在、そんな先生になりたかった。
子どもたちにとって学校は小さな社会。だったら、少しくらい「先生らしくない」先生が混じっていても、社会の多様性を感じることにも繋がるかもしれない。社会人のマナーを外さない程度に異質な存在でいることは、必ずしもマイナスなことではないのではないか。

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それから2年後の現在、私はまた教壇を去って大学院に身を置いている。担当教科の質を上げるのはもちろん、もっと「変な先生」になるための知識をつけるために日々勉強している。
卒業した2年後に教壇に直ぐ戻るかは分からないが、いつかあの場所に戻った時に、学校のインパクトのあるマイノリティーティーチャーでいたいと思う。だって、それがこれらの子どもたちが出会う社会の姿だから。