プロフィールにも書かせていただいているが、私は2021年まで小学校教員として働いていた。実質、教壇に立っていたのは約2年前のことである。
私が忘れたくないのは、約半年教員として学校現場で働いた時間と事実だ。

今となってはもう二度と小学校で教員として働くつもりはない。公務員という仕事は私が望む働き方は通用しないし、「先生のくせに」「先生なんだから」と近所や周りの人たちから言われるのが辛かった。
私は子どもの頃からずっと先生になりたかったが、教育実習や学生ボランティアの活動だけでは教員という仕事が自分に合っているのかは分からない。なってみて初めて分かることの方が多いと感じる。

しかし、教員生活は嫌なことばかりではなかった。
私が苦手だった学年主任と校長以外は私の味方だったし、初めて担任した子どもたちとの思い出は半年で数え切れないほどできた。そして何といっても今の職業の存在を知ることができたのは、学校現場で働いたからこそ。
今では教員以上にやりがいを感じて働くことができている。教員としてのキャリアは私にとって決して無駄な回り道ではない。採用試験に受かってその先に見えたのは、決して地獄だけではなかったのだ。

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着任当時、年齢の近い先生たちが4人もいて、初任者研修や授業づくりについて色々と教わったり、仕事のことだけでなくプライベートな悩みまで相談したりできる人たちがたくさんいた。本当に細かいところまで教えてくれたり、私の不調にも気づいてくれたり、主任との関係や困りごとに共感してくれたりした。
そして運の良いことに、高校時代の気心の知れた友だちが隣の小学校に赴任した。いつでも気軽に会えるので、一緒に授業を作ったり、突然誘ってごはんを食べに行って悩みや愚痴を吐き合ったりした。
初任者の若者1人だったら、もっと早く辞める選択をしていたか、親元から離れたところで独り、「死」を選んでいたかもしれない。本当に。

その高校からの友人と、どこか完璧主義的な考え方で自己肯定感が低い私とは、結構正反対の性格だとお互いに思っている。だからこそかけてくれる言葉に救われたり、仕事や人生への考え方に影響を受けたり、会わなかった大学時代に彼女が積み上げて得たものを共有してくれたりして、本当に支えられた。私たちの青春の第2章を謳歌している気分だった。
私が教員を辞めて地元に戻る決意をした時、いつでも会える距離にいられなくなることはお互いにとって辛いことだったが、私たちは離れていてもお互いの人生を応援しているし、尊敬している。

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初めての学級担任。転校生もいて総勢30人の学級は、当時校内で一番子どもの数が多かった。
子どもたちは新しくて歳の近い若い先生が大好きなのだ。「若い」というだけでそれは特権なのだ。毎時間の休み時間には教卓に子どもたちが集まり、「先生は何歳ですか?」「先生は足速いんですか?」と素直で健気な質問を浴び、「校庭で鬼ごっこしてください!」「先生なんか絵描いてください!」と引っ張りだこである。
いわゆる“モンスターペアレント”は私の学級の保護者にはいなかったし、それどころか有難いことに自分より年下の担任に丁寧に気を遣ってくれる保護者さんばかりであった。主任が仲よくできなかったお母さんと私は一番話したし、仲よくなれた話は、教員時代唯一の私の武勇伝である。

しかし、担任として子どもたちの命を、人生を預かっているのだと思うと、色々なことを独りで抱え、勝手にプレッシャーに感じることもあった。子ども同士のトラブルの解決に手間取って授業がなかなか始められなかったり、子どもたちの前で主任に怒られたりもした。校長に呼び出されて1個も認められずひたすらダメ出しだけを受けて心がボキボキに折られていった。
そんな中でも私が教員を辞めたり仕事を休んだりしたくなかったのは、自分が担任する30人の子どもたちがいたからである。友だちとの関わり方や学習に対して困り感をもつ子どもも少なくなかったが、その子と向き合い、私自身が学んだこともたくさんあり、今の職業につながるとても良い経験になった。

学校生活の流れに慣れるのに時間がかかっていた私を見ていた子どもたちに、「先生、大丈夫ですか?」「手伝います!」と何度も助けてもらった。「先生が大変だ!」と気を遣わせてしまったが、本当に30人全員が心配してくれて、それを機に学級が一つになったような感覚にもなった。
私が半年の間に子どもたちにしてあげられたことはほとんど何も無かったように感じるが、それよりも遙かに、何物にも代えられないものをたくさん子どもたちからもらってばかりだった。

退職時にもらった全員からの手紙には、「勉強をわかりやすく教えてくれてありがとう」「一緒に遊んでくれたのが楽しかったです」「また先生になったら遊びに来てください」と、もったいない言葉が並んでいた。私が独自に行っていた「宿題直し付箋」は主任や校長には不評だったが、何人もの子どもたちにとっては嬉しい先生からのプレゼントであり思い出なのだ。
私自身、そんなに子どもたちの印象に残るとは思ってもみなかったが、子どもたちはよく見ているし、感じ取っているのだと思った。

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これから子どもたちはもっといろんな先生や友だちと出会い、もっと長い時間一緒に過ごして、きっと私のことを思い出すのが難しくなったりするのかなぁ、と、ふと考える。私も、これからたくさんの子どもと出会っていくと思うし、目の前の子どもたちのことを考える時間が圧倒的に長くなる。
それでも、子どもたちの顔や名前、その子たち一人一人の特徴を忘れたくない。わがままだけど、子どもたちにも忘れてほしくないなぁと思う。
あの子たちのことを思い出す度に、私はまた明日からしばらく頑張れるエネルギーをもらえるから。