16歳の夏は、私にとって忘れられない夏だ。
いい意味でも、悪い意味でも。
16歳の夏休み。両親は離婚した。
私にとって辛かった日々が軽くなった瞬間だった。あくまで「軽くなった」だが。
私に刻まれた夏は、ジリジリと私の心を焼いてきた。

◎          ◎

16歳の夏休みは、夏休みのようで夏休みではなかった。
進学校だったこともあり、勉強に力を入れている学校だった。塾ではなく高校で、夏期講習が朝から夕方まであった。
だから、通常の授業のように朝から夕方まで学校にいた。
おまけに当時の私は理科分野の研究もしていたため、夏休みも研究をしていた。
さらに、夏休みが終わると文化祭だったので、その準備もあった。
部活動も文化系だったので頻度は少ないが一応あった。
遊ぶ暇はあまり無く、夏休みといえども、通常と変わらなかった。

しかし、その忙しさが私にとっては救いだった。
成績が悪かったこともあり、クラスメートに嫌なことを言われることもあったが(言われたことは覚えていても、何を言われたかは覚えていないのでよしとしている)。
私は、家に居たくなかった。帰りたくなかった。
だから、ギリギリまで学校にいる。
門限があったのでギリギリ。
門限は19時だった。

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家に帰れば、顔も合わせたくない、口も聞きたくない当時の同居人がいる。
同居人は、夕方以外家にいる。
昼間ほどまで寝て、夕方からパチンコに行く。
母は家政婦か奴隷のように外で働き、家でも家事をしていた。

私は、家に帰るとまず玄関にある靴を見る毎日。
同居人は、出掛けているのか、家にいるのか。
出掛けていれば胸を撫で下ろす。出掛けてなかったら静かに。まるで私は居ないかのように。
時には、母と待ち合わせをし、一緒に帰ってきたこともあった。

私は、同居人が怖かった。
何を言われるかわからない、されるかわからない恐怖と闘っていた。
家に居ないことについて怒られたこともあった。
私はタバコの煙で咳をこむことがあった。それにもかかわらず、わざと私の方を見て煙を吐いてきた。
狭い部屋の中で煙の臭いが充満していた。

いつか私は死ぬだろうと思っていた。
身体が?心が?いや、どちらもか。
だからこそ、怒られてもなるべく家に居ないようにしていた。
少しでも長く生きるために。
学校でも嫌なことはたくさんあったが、家に比べたらマシだった。
涼しい風が吹いていた。
家はエアコンがついていても、暑かった。
変な汗をいつもかいていた。

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同居人は、書類上私の父親だったが、私は父親だと思っていなかった。同居人。居候人かもしれない。
高校に入学する際、提出した書類に両親の名前を書く。
私は最初どちらの名前も書いたが、同居人の名前を書きたくないと母に言い出し、同居人の名前を書類に穴が開かないように、カッターで削ってもらった。
私の家族は、母だけだ。
そのカッターで削った跡がある書類を高校に提出した。

カッターで削ったものが私自身ではなくて良かった。
16歳の夏休みの終わり、両親は離婚した。
私はどちらと共に生きるか選択を強いられた。勿論母を選んだ。
同居人は納得いっていなかったが、私は母を選んだ。
同居人と生きるなど、死んだ方がマシだと思っていたのだから。
高校には通わせてもらえない。働かされ、私は奴隷のようになっていただろう。
あくまで私の想像に過ぎないが。

私は両親の離婚により解放された。
夏のジリジリとした暑さがほんの少しだけ遠のいた。
その出来事は、別の問題の始まりではあったが、私にとってはプラスの出来事になった。
勉強よりも、研究よりも難しい家庭の問題。
切り離せるのであれば、私は自分から切り離してしまいたい。
日本の制度が許してくれるのであればの話だが。
そうやってまた今年も変に汗ばむ夏を思い出す。