今、貧困は見た目ではわからないと言われますが、私はこれは大変な問題だと考えています。食べる余裕もないのに、貧乏くさく見られないようにと見た目ばかり綺麗にせざるを得なくさせる世の中のせいで、貧困が隠されてしまっています。

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私と弟はあまりお金がない家庭に育ったけれど、両親が揃っていたこともあり、困ることはありませんでした。毎日母や祖母が作ったご飯をお腹いっぱい食べ、ゲームはなかなか買ってもらえなかったけど、外遊びやトランプ遊びをして、友達とも遊んだりして、楽しく暮らしていました。旅行も行きましたし、私と弟は二人とも大学に進学し、私は奨学金を持たずに卒業できました。

しかし、服は同じものを着ることが多かったと思います。ちゃんと洗っていたし、気に入っているからそれで良かったのですが、周りの人たちからは、お下がりをたくさんもらいました。母が「うちは貧乏ではない」とよく言っていたのは、かわいそうにと服を恵んでくれる皆さんに対する、怒りだったのかもしれません。

子ども食堂にお手伝いをさせてもらいに行った時、普段着を選んだのに、地味で浮いてしまいました。スタッフの方々は皆年配で、私と歳が近いのがママさんたちだったからか、流行りっぽい綺麗な服を着てくるママさんたちと比べ、シンプルで動きやすい服は浮いてしまいました。
だからと言って、実は皆さんそんなに困っていないかといったらそうでもなく、大人一人当たり一台車を持つのが当たり前の、電車もバスも少ない田舎なのに、車を持っていないママさんもいて、食材などの持ち帰りの荷物があって危ないからと、いつものことのようにスタッフの方が送り届けていました。そこまでしなきゃならないほど、本当に大変なんだということを理解し、それを放っておいていいわけがないと危機感が湧きました。

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思えば、公園で子供と遊んだり、幼稚園バスを待つママさんたちも、皆綺麗な格好をしています。似たような格好の人ばかりですが、皆さんちゃんと流行りを追って、服を選んでいるようです。どれも新しい服で、普段着のはずなのに、着慣れた感じがしないことに、小さな違和感を覚えました。

私の母は、写真を見ても、私の記憶を辿ってみても、いつもシンプルな服を着ていました。それも、何年も同じ服を使い、ヨレるまで着ます。綺麗な服を着るのは、入学式や卒業式の時くらい。実はそういう服もたくさん持っている母ですが、普段着ではないので使わなかったようです。
今の人たちの中で、昔の母のような格好をしていたら、浮くかもしれません。というか、あの時点で浮いていたから、お下がりをたくさんもらっていたんでしょう。何も困っていない母からしたら、ありがた迷惑だったようです。

私たちにとって、綺麗な服は特別な時以外、動きにくいばかりで必要ありません。綺麗な服が着られないだけでかわいそうだと見られることが不満です。そもそも、真新しい服だけがいい服とも限らないのに。それでもそういう世の中だから、シーズン毎にたくさん服を買う他ないのかもしれません。

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しかしそうして服をたくさん買って、昔は私に服や小物を押し付けてきた友人が、私の服が欲しいとねだるのです。それまでは、くれるというのでもらっていましたが、正直使わないままのものも多く、嬉しいものではありませんでした。私たち家族は、たまにしかものを買わない分、買うぞとなったら多少高くても気にいる物を選ぶので、それが欲しかったのでしょう。
この時点でもう、この人とはこれ以上関わりたくないと思いました。しかもこの人は、いらないものをすぐ人にあげる癖があるとのことで、あれもただの廃品処理でしかなく、私は友達ではなく都合のいい相手でした。それなのに、私の気持ちが離れていると知ってか「友達だ」などと連呼していて、気分はよくありませんでした。

なんか間違ってるなと思い、持っているヒールの靴を全部手放すことにしました。鞄も減らし、かわいいからと買った、機能的ではなく、似合うわけでもないものは、まとめてリサイクルショップ行きです。
それでも鞄は10個も残りましたから、多い方なんでしょう。服も片付け、よそ行き用と普段着用に分けました。普段着はシンプルなものばかりで、ワンシーズン4セットくらいです。これの上下の組み合わせを変えるなどして、パターンを増やします。

そろそろ服装から落ち着きたいし、着飾る必要も感じません。久々に会った親友の服装が決定打となり、これからはシンプルでいいと思うようになりました。
いつまでもきれいに、いつもビシッと決まった服装で、というのも大切かもしれませんが、東京で私服出勤をする親友が、動きやすさ重視のシンプルで着心地の良さそうな服を着ていて、それでいいんだと思うと同時に、よそ行きの服を選んだ私なんかより、とてもかっこよく見えました。

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周りからどんな風にみられていたかは知りませんが、私たちのことを気にかけ、いつも出来る限りのことをしてくれた母はかっこいいです。きれいなお母さんもいいかもしれませんが、こういう母親ももっと評価されて欲しい。あんまり着飾ることだけが褒められる世の中では、何か大切なものを見失ってしまうと思うのです。
着飾る時期やタイミングというものはありますが、私の中で、自分の着飾る時期は過ぎました。もう充分着たい物は着てきたし、この人と生きると決めた人を見つけたから、もういいのです。

今、皆常にきれいな服を着ていますが、私の理想は、着飾るタイミングと普段とで、もっとメリハリをつけることです。これから着飾ることなんて、年に数回あるかどうかですが、そういうハレの日以外は、動きやすい服で、思いっきり人生を楽しんで、毎日を過ごしていきたいです。そしていつか、母のような母になりたいです。