私には、いま付き合っている人がいる。
その人のお誕生日には、露天風呂付きのお部屋がある旅館で、仕事をしている社会人だからこその、日頃の疲れを癒せるような、ゆったりと時が流れる大人なお泊り会をした。
その人が誕生日の抱負と近況を書いたFacebookの投稿には、「いまお付き合いしているパートナーとは……」のフレーズが。
恋愛においてお互いにとって持続可能な関係性を築くことを心がけていると、書いてくれていた。
投稿を読んで、私がちょっとだけうるっとしてしまったのはなぜだろう。
それは、きっと、ありがとうの気持ちでいっぱいになったから。
なかなか個性がある女の子を好きになってくれて、フェミニストな部分も「うんうん」と話を聞いてくれて、人には隠したいと思うような恋愛の過去も全て受け入れてくれて、ありのままを好きでいてくれる人。ありがとう。
「お付き合いしているパートナー」と言えるような関係性が築けたことに感謝。
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彼は自らの恋愛について、Facebookで投稿するような人ではないけれど、「彼女」でも「恋人」でもなく、「いまお付き合いしているパートナー」と書いてくれたその表現が心に響いた。
「男性」「女性」という2つの性に伴うイメージや役割に敏感な私。
祖父となった私の父が、注目されたくて声も大きくなってしまう、はしゃぎ癖のある孫(女の子)に向かって、「もう少し女の子っぽくね。やんちゃだね~」と声をかけるのを聞くと、どうしても胸騒ぎがしてしまう。「女の子っぽくとは?」と口をはさんでしまいたくなる。
親しい女性の友人に対しても、まるで異性愛がスタンダードであるかのように「彼氏はできた?」とは聞かない。なるべく「恋人」「好きな人」と中性的な表現を使うように心がけてきた。同性愛の自由もあれば、そもそも誰かに性的感情や恋愛感情を抱かない自由もあると思うから。
だから、「彼女」と「恋人」と「パートナー」という言葉について考えてみた。
大学生の頃、言語学を専攻していただけあって、やはり言葉に注目したくなってしまう。言葉というものは面白くて、新しい言葉が出てくるように、生まれ変わるスピードも速いから。
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「彼女」は、女性という性別が固定されているだけではなく、「彼女」という言葉からはやはり理想の彼女像が連想される気がする。
同年代で綺麗ですらっとした体形、笑顔がかわいい、「会える」ことが楽しみで仕方がない相手が、「彼女」。デートの度に、どこに行こうかひと晩中、ネットで「〇月〇日 東京 イベント」と検索しまくって、デートの度に映画や水族館、美術展など何らかのイベントを付け加えようとする。「表参道 おしゃれランチ」と検索して、ランチの場所もこだわる。
「恋人」は、性別は限定されていないものの、「彼氏・彼女」という恋愛関係よりも、少しだけ大人な恋愛関係な気がする。
デートの度におしゃれランチを予約しなくても、映画や水族館、観光地巡りなどのイベントをつくらなくても、午後だけのカフェデートでも十分。「会って何かをすることや何かを一緒に体験する」ことよりも、「会って肌を触れながら話すことや一緒に時間を共有すること」が大切になる。高校生や10代後半~20代前半同士の淡い恋愛で、相手のことを「彼氏」とは言うけれど、「恋人」とはなかなか言えなかった気がするから。
「パートナー」は、さらに大人な、落ち着いた恋愛関係な気がする。
とくに深い心のつながりや、信頼関係を築いている相手であれば、「彼氏・彼女」「恋人」と呼ぶよりも「パートナー」と呼ぶ方がしっくりくる。自分のいいところも悪いところも理解して、ありのままの自分でいられる、お互いに高め合えるそんな持続可能な関係性は素敵だ。お泊り会をしてみても、普段通り過ごせるような相手。身支度で洗面所を使うタイミングを気にしなくても、自然とお互い邪魔することなく過ごせるような相手。一人暮らしのキッチンで「あれ、とってくれる?」と頼まれてもそれが何か分かるような関係。
「パートナー」は配偶者という意味で使われることもあるけれど、「彼氏・彼女」や「恋人」よりも落ち着いた関係として、「お付き合いしているパートナー」という呼び方がいいなぁと思った。
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私が「いまお付き合いしているパートナー」は、最高で最低。だから好き。
持続可能な恋愛関係でいようと、努力してくれるから。
心が健康でいられる恋愛だから。
だけど、「あぁまじでゲス」と一瞬思ってしまった時ももちろんある。
ゲス話は私のパートナーの名誉に関わるから、今は非公開にしておくけれど、そんな彼にこのエッセイを捧げようと思う。
「こんな俺だけど、一緒にいてくれてありがとう」と言うあなたへ。
「こんな俺」だから私は好きになったんだよ。「恋は盲目」だから、嫌なところを見ていないわけじゃない。
「すべてをよく見て、葛藤もあったけれど、あなたを受け入れられた」から一緒にいるんだよ。
私たちの関係性は発展していっていつか家族になれるのかもしれない。こんなに信頼しあっていても、いつか終わりと別れが来るのかもしれない。それでも、この美しくも繊細な儚さを、私の人生に与えてくれて、ありがとう。
ふふ、だから、これからが楽しみだ。