「もっとよく周りを聴いて!!」
先輩の怒号が飛び交う灼熱の体育館。ここが私の青春の場所だ。
私は中学生の頃に始めた吹奏楽を極めたいと思い、高校では全国大会常連校の超強豪校に進学した。
その高校は真っ黒なブレザー、真っ黒なスラックス、真っ黒なローファーを履きこなす集団。この集団は時に勇ましく、時に荘厳に、そして優美な音楽を奏で、聴いた人を虜にする魔法を使うのだ。私は演奏会やコンクールで見かけるたびに、自然と背筋が伸び、その集団から目が離せなくなった。
「絶対にここに進学する」
中学1年生の私はひと目見たその時から決心し猛勉強、猛練習して3年後にはその集団の一員となったのだ。
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だがしかし、現実は甘くなかった。なんと入学前の春休みから部活動に参加させられ、先輩方と同じように厳しいレッスンを受け、毎日くたくたになるまで朝から晩まで練習漬けだったのだ。その後、入部してからはより一層厳しく、きつい練習の日々だった。
朝は始発で学校へ向かい、練習棟の掃除、朝練。昼は10分でお弁当をかきこみ、練習。放課後は急いで部室へ向かい21時まで練習。今思うとかなりのブラックだったと思う。
おまけにSNS禁止。メイク禁止。巻き髪禁止。スカート捲るのも禁止!禁止地獄だった。
しかし私たち部員は毎日が楽しくて、毎日が新鮮でしょうがなかった。日々できることが増えていく、日々音色が洗礼されていく。そんな目に見える自分の成長が嬉しくてたまらなかったのだ。
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1年目はその甲斐あって、そして先輩方の力量で無事全国大会への切符を勝ち取った。10年連続の快挙だった。だが、その次の年の2年目の夏、私たちは敗れた。やはり部員一人一人が心のどこかで10年連続出場に安堵していた。完璧に甘えによる結果だった。
「もうあそこは落ちたな」
「あの先輩たちでダメなら今の代はもっとダメだ」
私たちの代は所謂不作の年だったのだ。部員数も少なく、飛び抜けてうまい奏者がいない。そのことは自分達も痛いほど分かっていた。
最後の年に全国大会へ返り咲くためにどうすべきか。私たちはまず何度も話し合いを重ねた。そして話し合いが功をなし、以前より団結力を強められた。
普段の学校生活の態度は当たり前のこと、その他にもゴミは拾う、スリッパを揃える、どんなに短い距離でも横断歩道を必ず渡る、などと言ったごく普通の当たり前のことを当たり前に行うところから徹底した。どんなに当たり前のことでもそれをおろそかにすると、その小さいことが理由で全国大会へ進めないかもしれない、と私たちは自分自身に呪縛をかけたのだ。
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そして最後の夏。私たちは全身全霊で駆け抜けた。
吹奏楽部は強豪だが、その分部員数も多いので練習する部屋が足りない。私立高校はホールや練習場が確保されているが、私たちの県立高校は野球部やサッカー部が練習するグランドの隅が普段の練習場だったのだ。真夏の炎天下で楽器を吹き続けるという、もはや修行を夏休み中延々と繰り返した。
もちろん熱中症で倒れかける部員も沢山いた。他の部活からは「異常だよ」「よくやるね」と冷ややかに言われていたが、そんなことお構いなしだった。私たちには『全国へ返り咲く』という絶対に成し遂げたい目標があったから、どんなに辛くても頑張れた。
血の滲む努力の甲斐あって、その夏全国大会へ進むことができた。
そして全国大会では銀賞を受賞した。
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今思い返しても本当にしんどい夏だった。毎日瀕死の状態で練習をして、より良いものを作るために部員同士での揉め事も日常茶飯事。夏祭りもお盆休みも私たちには3年間なかった。
だがそれで良かった。私は10年後に思い返しても、それで良かったと言える。私たちしか味わえない何にも代え難い青春を過ごさせてもらえたのだ。何度高校時代を繰り返せるとしても、私は迷わず同じ高校で吹奏楽をするだろう。
この夏があったから今の私がある。どんなに辛いことがあってもこの夏を思い出して、私はまた立ち上がる。