「試合終了ー!」
ホイッスルが短く長く鳴らされた。
高校2年の新人戦3戦目の7月の末、私のサッカー人生のピークは、いとも簡単に終わりを迎えた。

右脚首の靭帯損傷。全治3ヶ月。手術が必要となる完全断裂じゃなくて良かったね、と医者は言う。
良かったね?何も良いわけがない。小学校、中学校には女子サッカー部がなかった。いたずらっ子が多い男子サッカー部に混ざる勇気を持ち合わせていなかった私にとっては、女子高でサッカー部に入ることが夢だった。

高校2年の夏大会が始まったばかり。なんとかレギュラー入りしたというのに。これからという時の全治3ヶ月に、突然崖から突き飛ばされたような感覚に陥った。怪我以降の夏大会出場は絶望的。何も良いはずがないのだ。

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後半戦半ば、なんとか勝って追い越したい試合状況だった。右サイドハーフに配置された私は、ボランチからボールを回してもらい、ドリブルでディフェンスを振り切って飛び出した。

相手の選手を全員追い越したと思った、その瞬間全てがとてもゆっくりスローモーションのように見えて、「ピキッ」とどこかが小さく鳴り、突然地面が目の前に現れた。何が起きたかわからなかった。相手選手より後ろからのスライディングを受けたようだった。明らかなファウルだった。
経験の浅かった私は、後ろからのスライディングに反応できず、避けきれずに綺麗に喰らった。

試合に負けたくない一心で、無理矢理立ち上がり、問題ないとコーチに伝える。しかしながら、コーチの判断は選手交代。悔しさを手のひらに押し込めてベンチに戻った。
私はまだ走れるのに。そんな意志とは関係なく、試合終了後、自力で立ち上がることはできなかった。右脚首がどうして立ち上がれたのかわからないくらい、少し曲がった樹木の幹のように腫れ上がり、赤紫色に内出血していた。
幼い頃から長くスポーツをやってきたが、こんな脚首は見たことがない。「大丈夫、治るよ」と肩を貸してくれた仲間の声よりも、響き渡る蝉の声がとても大きく聞こえた。

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右脚首靭帯損傷、よって残りの夏休みは全て松葉杖で過ごすことになった。
聞いたところによると、骨折の方が治りが早いらしい。もっと練習していたらあのスライディングは避けることができたのだろうか。私がもっと上手かったら。もういっそ骨折であれば早く治ったのに。

「見学だけでも部活に出てこないか」と顧問の先生の説得を受け、松葉杖のまま夏休みは練習に参加し続けた。
片脚しか使えない私は、マネージャーとしての役割も十分に果たせない。同期や後輩は私が療養している間に、メキメキと成長を遂げている。それを目の当たりにするのが、ただただ悔しくて辛い。もういっそ部活を辞めてしまおうかと思った。

そんな折、マネージャーから「右脚がお休みしてる間に左脚鍛えちゃいましょうよ!」と話しかけられた。うだるような夏のグラウンドにマネージャーの爽やかな笑顔が輝いていた。左脚、確かにあの試合以来持て余している。その言葉は、動けない私が部活に参加し続ける理由になった。

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療養とリハビリを終えた翌年の春、レギュラー入りこそできなかったものの、両サイドで活躍できる選手として試合に復帰。仲間に追いつくことは叶わなかったが、チーム内唯一の選手に成長を遂げた。
どちらのサイドでも出場可能なため途中出場頻度はかなり多く、たくさんのシュートアシストを決め、誇らしく高校3年生、サッカー人生最後の大会を終えた。

あれから10年後、26歳になった私は今でもあの夏を思い出す。本当に悔しくて、本当に辛くて、本当にやるせなかったあの夏を。
けれど、その一方で支えてくれた仲間たちの言葉や笑顔も思い出して、今も頑張ろうと前を向いて進めるのだ。