小学生の夏休みにあったプール開放。小学一年生のとき、私は当時通っていた小学校のプール開放に行くことができなかった。家族全員で母親の実家の手伝いをするために帰る必要があったからだ。

運動が苦手で、体育の授業をあまり好んでいなかった私でも、プールの時間というのだけは別格で、面白い時間だった。きっと、運動が嫌いな人でもプールだけは別だったという人が他にもいるかもしれない。
母親の実家は山奥にあり、市民プールなんてものは存在しない。田舎になんて、遊ぶ友達もいなければ、遊ぶような場所もない。私は、プールという楽しみを奪われた上に、楽しむものがない田舎に行かなきゃいけないのが嫌だった。

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そんな私を見かねてだろうか、どこかから情報を聞きつけた母親が私に言う。
「近くの小学校のプール開放、そこに通っている子じゃなくても行けるらしいけど、行く?」
誰も知らない学校のプール開放に行くのはためらいがあった。友達がいない状況で、プールが楽しめるかどうか、自信がなかったからだ。それでも、退屈な時間を潰したくて、私は近くの小学校のプール開放に行くことにしたのだった。

その小学校の全校児童はギリギリ二けたという、小さな学校だった。私と同じようにこの地区には、親の実家があって帰ってくる子供たちが他にも数人いた。そんな子たちを受け入れる体制を取っていたその学校は、私のほかにも外部の児童が来ていたのだった。

田舎の学校という小さなコミュニティでの仲の良さというのは、普通の児童のコミュニティに比べて、レベルが高い。そんな中に入っていけるのか、という不安もあったが、向こうは外部の児童を受け入れることに慣れているのか、見ず知らずの私を受け入れてくれた。

プール開放で、この地に友達が出来た。私と同い年の子はおらず、ほとんどが年上だったが、まるで全員が同い年で、一つのクラスの中のように仲良くなっていった。プールが終わっては、学校の先生からスイカやアイスなどの差し入れがあり、プールという時間がとても楽しい時間だったのは、今でもよく覚えている。
あのとき、母の提案に乗っていなければ、きっとこんな楽しい時間を過ごせなかっただろう。
やることがない、退屈な夏休みを送っていたのだろう、なんて考える。

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私が母親の実家に滞在する日も最終日に近く、プールに行くのも最後になった。あぁ、もし来年、来ることがなければみんなと会えるのも最後になるのか。
数日を共にしただけの友人だったが、別れは寂しかった。

小二にあがる直前の冬のある日、両親は私にこう言った。
「来年からは母さんと二人で、実家の方に行くことになったから、今の学校とはあと少しでお別れだ」
私が小学校一年の春、祖父が亡くなった。
田舎の家に、祖母一人では心配だということで、新年度に切り替わるのを機に、引っ越しをすることになったのだ。
小学校の友達とは仲が良かったし、別れは寂しかった。元々、転勤族だったうちにとって、引っ越しというのは初めてではない。友達との別れというのも、何回も経験してきたことだ。しかし、今回の引っ越しは特別だった。
私が行く先は、新天地ではないのだ。通う学校は、プール開放で通ったあの学校。
あの学校のみんなと毎日のように遊べるのだ、という楽しみすら芽生えていた。

小一の夏、私が母親の提案に乗っていなければ、転校が楽しみだと思えていなかっただろう。輝かしい思い出のあの夏休みが、私の新たな一歩を踏み出すきっかけになった。
元あるコミュニティに参加するのは、勇気がいる。
しかし、ほんのちょっとだけ勇気を出して、踏み出せばあとは楽だ。

コミュニティに入るときは、ちょっと少しだけの勇気を持って話しかけよう。そんなことを、生活する環境が変わったときに毎度自分に言い聞かせている。