私に刻まれた夏は、何か一つ印象深い出来事があった夏ではありません。その夏丸ごとが異質だったから忘れられない夏。それが私に刻まれた夏です。
まあ、わかりやすく言い換えてしまえば、受験生だった夏です。
受験生だった夏はどれも覚えていますが、一番深く刻まれているのはおそらく高校三年生、大学受験を控えた夏です。

受験生の夏が異質なのは、夏「休み」と称しながらも勉強していたからでしょう。しかも、切迫感に押し潰されそうになりながら。加えて、私の個人的な環境や感覚も要因だと思われます。

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私は夏休みの間、学校に通って勉強していました。クラスメイトにも、そういった者は少なくありませんでした。肝要なのは、そのクラスメイトたちが異質さを際立たせていたということです。

受験生が勉強する場所も方法も様々です。学校へ行く者、塾へ通う者、家に籠る者。どれを選ぶかは個人の好みや適性に依ります。学校は開放されていましたが、基本的には自分の教室を使うのがルールでした。つまり、単純に学校で勉強することを選んだクラスメイトが集まっていたわけです。当たり前ですが。

そのクラスメイトたちは、普段仲良くしているわけでもなく、部活が同じわけでもなく、趣味が同じはずもなく、本当に「学校を勉強場所に選んだ」以外の共通点が無かったのです。
空席の目立つ教室で、親しくもないクラスメイトが黙々と机に向かう夏の日。机の上に散らばった筆記用具と、制服の夏服と、窓の向こうの青空と入道雲の景色が記憶に残っています。

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決して親しくないクラスメイトたちでしたが、シャーペンで書きページをめくる音、昼時の食事音だけに耐えかねるようにして、少しずつ話すようになりました。私の高校では三年進級時のクラス替えが無かったので、夏休みの時点で一年以上クラスメイトをしていたはずですが、その夏休みの間が一番言葉を交わすことになった子も多かったです。

難問に頭を抱え、模試の結果に一喜一憂し、何かに追い立てられるようにノートにシャーペンを走らせながら、合間を見つけては息抜きに話をしました。受験生の夏が無ければ、こんなにも話すことにはならなかっただろう子たちと。それゆえに、やたらと鮮明に覚えているのです。

体育祭の種目決めくらいでしか話したことのなかった子が話してくれた、昨日見た夢のこと。ザリガニと畳一畳くらいのラケットでテニスをしていたという内容に、腹がよじれるくらい笑いました。

面談に使うからと一時的に教室を追い出され、炎天下を十分以上歩いてコンビニへアイスを買いに行ったとき。ようやくたどり着いた店内の冷房の涼しさ。
やたらと熱心に取り組んでいた参考書から付けられた、新しいあだ名。学校で勉強していたクラスメイトだけに広まって、休み明けに不思議そうな目で見られていました。

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そうして親交を深めたクラスメイトたちでしたが、夏が終わり、夏休みが明けて教室に人が戻って来ると、それぞれのグループへと帰って行きました。そうしてまた、どこかよそよそしいくらいの距離があるクラスメイトの関係に戻ったのです。夏の間に付いたあだ名や教えてもらった数学の解法などに片鱗を残しながらも、夏の間、あれだけ仲良くおしゃべりしたのが嘘みたいに。

白昼夢のような、蜃気楼のような夏の思い出です。けれども確かに私はあの夏受験生で、学校へ行って勉強しており、それは今に繋がってるわけです。
後から思い返せば、私の学校生活の中でもいっとう異質な時間でした。けれども、だからこそ強く、その違和感と勉強の辛さと息抜きの純粋な楽しさみたいなものも丸ごと、私に刻まれているのでしょう。