今まで夏は嫌いだった。
日差しが強く日焼けもするし、夏の都会の独特な匂いも苦手だし、歩くだけで汗もかくし、何より暑い。だからずっと夏は嫌いだった。
だけどそれを変えた夏がある。5年前の2017年、高校1年生の8月のことだった。

夏嫌いを変える出逢いは近所の図書館で

何か新しいことをはじめたいと思い、今から7年前の2015年に地元のよさこい鳴子踊りのチームに加入した。きっかけは本当に些細で、近所の図書館に貼ってあったポスターが偶然目に止まったからだった。

見学に行くと高知を本場にする“よさこい鳴子踊り”だと言われて、“YOSAKOIソーラン”しか聞いたことのない私は初めての出会いに正直驚いた。ただ違いなんてその時はよくわからなかったし、鳴子なら毎年地域のお祭りで握ったことはあったので「いけるでしょ」のノリでチームに加入した。それがきっかけだった。

そこから5ヶ月後、ある祭で私のチームが大賞を取ったことをきっかけに本場高知の“よさこい祭り”で踊る事が決まった。チーム結成時からの夢だった、とリーダーが涙ながらに語る姿を見て「これはすごいことなんだ……!」とようやく気がついた。
そして「高知の舞台で踊ること」、それがチームと私の目標になった。

高知の夢の舞台での夏は、一瞬だった

本番へ向けての練習は、半年以上も前から始まった。中学3年生の冬だった。
加入して約1年の私はまだまだ知らないことだらけだった。振り付けを覚えることはなんとかできたものの、そこから先どうしたらいいかわからなかった。前で踊ってる人の真似をしてるつもりなのに、全然腕が上がっていなかったり、角度が全然違うことなんてザラだった。「見たものをそのまま自分の身体にうつすだけ」が不思議なくらいに難しかった。

少しずつ少しずつ間違っているところや、揃わないところを修正をしていく。週に1回、3時間+α。これが練習で、私はその練習に流されるままついていくのがやっとだった。
そして遂に高校1年生の8月、私は高知へ向かった。

とにかく暑かった。日差しはジリジリとするし、風は吹かないし、それでいて気温は真夏日並み。そんな中3日間踊り続けるので、倒れるのが先か祭が閉幕するのが先かの勝負だった。

踊ってみたら3日間なんて一瞬だった。沿道にはお客さんが本当に大勢いて、大きなスピーカーから流れる音を全身で受け止めて、みんながこの日を待っていたという空気が街を包む。そんな空気を浴びながら街の商店街の中を踊り進んでいく。

踊りながら私は、ここは何度やってもできなかったなぁ、難しかったなぁって考えたり。ああここは、練習でリーダーが叫んでたところだなって思い出したり。ここはしっかり腕を伸ばして、足は止めるんだったな、何度も練習で揃えたところだったな。
そう練習で言われたことが頭を通って手先足先へ流れていく。それがとても心地よく感じた。体力の限界が来てもそれでも踊るのをやめることはできなかった。

ずっと目指したこの舞台で踊れることが何よりも嬉しかった。今までずっと振りを追うのに必死になっていたけど、鳴子を鳴らして前進しながら踊るよさこいが本当に楽しいとここに来て初めて感じた。
祭りが終わる頃にはよさこいの魅力にどっぷりと浸かっていた。

つまらない学校生活。でも、私は別の世界を知っている

高知から戻った私は普通の高校生だった。学校は同一性を重視し、意義もわからないルールを押し付けられているようだった。

人と違うことがあると「それはどうなの?」と疑問が飛び交い、部活の先輩からは心無い言葉を言われたり、勉強できないだけでこの世の終わりだと思った。優しくしてくれる先生はいるけど業務が円滑に進むように声をかけたのだろうし、特別に感じていた高校生活は、入学して数ヶ月で窮屈でつまらないと感じていた。

だけど私はこの夏で、よさこいという別の世界を手に入れた。どんなに学校が窮屈に感じても、よさこいがあると思うだけで少しだけ自由になれた。そして普通の高校生だった私は、よさこいで少しだけ特別になれた。ステージからの輝くライトを浴びて、大きな声援を受けて自由に踊っていた。
私にとってよさこいは特別で、よさこいは私のことを特別にしてくれた。 

「この夏がなかったら」なんて想像できない。つまらないと思っていたこの世界をキラキラと輝くものにしてくれたからだ。そしてあんなに嫌いだった太陽も今では情熱の象徴に見えるし、暑さは魂を燃やす熱なんだと夏が180度変わった。

世界はつまらないと思っていた。でも私が知らなかっただけで、世界は楽しいことだらけだった。あの時、図書館でポスターを見つけたことが私を大きく動かすことになるとは、神様も思いもよらなかったであろう。

私に刻まれたこの夏の景色は、何十年経ってもきっと鮮明であり続ける。何もかも忘れたおばあちゃんになったとしても、きっと私は施設の介護士さんとかに何度も話すのだろう。
「あの夏は本当に最高だったのよ」と。