彼女の存在に気づいたのは、高校3年生の冬、センター試験の日だった。
7年前、数学の問題用紙をめくる手が止まった。解けそうな問題があまりにも少なかったのだ。とりあえず、わかる問題だけ答えを書いた。30分もかからなかった。
空欄だらけの解答用紙から顔を上げると、同じ教室で同じ問題をすらすら解いていく受験生たちの背中が見えた。夏に分岐したたくさんの私だ、と思った。彼女たちは制限時間をいっぱいに使い、問題を解き続ける。その様子をぼーっと眺めていた。
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自分は本気を出せば、どんな大学へも入学できると高を括っていた。高校3年生の夏休み明けに受けた、模試の結果を見るまでは。地区ごとに集められた公立中学校とは違い、同じような学力の生徒が集められた高校でも、そこそこの成績は修めていた。私は、校内や県内の偏差値に満足してしまい、高校3年生の夏休みも、たいして受験勉強をしなかった。
夏休みが明けに受けた模試の結果で、全受験生中の自分の偏差値を知った。競争相手が全国へ広がったら、私の学力は良くて中の下だった。それどころか、傲慢にも自分より学力が低いと思っていた同級生たちは、夏休みに努力を重ね順調に成績を伸ばしていた。井の中の蛙、という言葉が頭に浮かんだ。
母が夏休みのある日、「受験生ってこんなに勉強をしないのね」と言ったことを思い出し、行き場のない焦りで体中がほてった。
初めて自分の醜い実態に向き合わなければならなかった。大して勉強もできないくせに、学力を伸ばす努力もしない、同級生が学力を伸ばしたことすら受け入れられない、醜い自分。なのに私は、模試の結果を受け取った夏の日、「勉強ができる自分」という幻想を守るために、受験勉強から逃げる道を選んだ。
センター試験本番まではまだ時間があるのに、受験ノイローゼになったふりをしたのだ。自分が頑張っても点数を伸ばせないことが怖かった。
「しょうがない」と思ってほしくてたまらなかった。これだけメンタルが弱っているから「しょうがない」。勉強が手につかなくなってしまうのも「しょうがない」。周囲をそう思わせるのになりふり構っていられなかった。
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そして迎えたセンター試験本番。結果は、高校3年間で受けたどの模試よりも点数が低かった。もともと志望していた大学へはとても点数が足りず、かなり志望度を落とした進学先を選択した。
いつかの授業で「センター試験は、人生最後の平等な試験」と言われた。その言葉が真実なら、私は人生最後のチャンスを棒に振ったことになる。
最初はふりのはずだった受験ノイローゼも、夏から冬まで演じていると、演技なのか本当なのか自分でもよくわからなくなっていた。食べれず、眠れず、何日も学校を休んだ。受験勉強はしたくない、でもいい大学には行きたい。その一心で、周囲と自分を欺くための演技をし続けていた結果だ。周囲はそんな私を見破っていたと思う。相当「イタい」人間だった。恥ずかしくて同窓会には一生行けそうにない。
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不本意な進学先を選んだが、それが私の実力だ。また、その進学先でしか得られない経験をし、薫陶を受けたこともまた事実だ。
大学での日々は、確実に今の私を形作ってくれている。こんな私を大学に行かせてくれた親には心から感謝している。それでも、自分が自分に負けることなく受験勉強を続けていたらどうなっていたのだろう、と思わずにはいられない。進学した大学が違ければ、もっと自分の人生はより良いものであったのかもしれない、と。
不意に、あの夏に分岐した私と街中ですれ違う。彼女はガラス張りの高層ビルのオフィスに、病院の診察室に、あるいは博物館のバックヤードにいる。彼女は未来へ向かって颯爽と歩みを進め、私の存在など気にもとめない。
私と彼女の距離は離れていくばかりだ。