今まで29年間生きてきて、何不自由ない幸せな人生だったなぁとつくづく思う。
感謝をしたい人はそこそこいる。その中でも未だに思い出す人は、私が中学生の頃のおじさんの先生だ。
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その先生は私が一年生の時は、他のクラスの担任の先生で数学の先生だった。前歯が少し出ている、とても面白い性格の先生だった。その先生は話が特に面白く、授業中に生徒たちを飽きさせない先生だった。冗談を言うことや生徒をからかうこともあったが、時には厳しく𠮟ることもあり、メリハリがある先生だった。
かたや私は、中学一年生の頃から眼鏡を常時かけ始めたことが原因なのかは分からないが、自分では明るい性格の部類だと思っていたが暗い部類の人たちと仲良くなり、クラスの一人の男子から避けられるようになってしまった。
その男子とは元々話したことがなかったので、何が原因か分からなかった。ただ前後の席になった時、給食の時間等で四人の班を作る時に毎回机をくっつけずに避けられただけだったが、それがあたかもバイ菌扱いされているような感じがして惨めだった。
私の存在をなしにされているようだった。プリントを後ろのその男子に渡す時も、毎回すごい速さで奪うように取られた。たった一人にそういう扱いをされるだけでも、当時の私にとっては本当に苦痛で嫌な日々であった。
そんな苦痛の日々の中、数学のその先生だけは授業中によく私に絡んでくれた。絡んでくれたお陰で、クラスの中での私を暗い子にせず孤立させないでくれていたのだと、当時から感じていた。先生が話しかけてくれるのが嬉しくて、苦手な数学も頑張れた。先生は授業以外に、廊下ですれ違った時にも声をかけてくれた。
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また、先生は男子テニス部の顧問で私は女子テニス部の部員だった。部活の時も隣同士のコートだったので、たまに話しかけてくれた。
私が一年生の頃の女子テニス部は、顧問がとても厳しくて怖い見た目はヤクザみたいな風貌の先生だった。練習でミスしたら怒鳴られ走らされ、ボールを投げつけられ、ただただ恐怖だった。
二年生や三年生の先輩は強く、県大会には必ず出場していて、県大会でも上位にいた。しかし先輩たちが引退して、二年生の夏に私たちの代になると、私たちはどんなに練習しても弱く、県大会には出場できない日々が続いた。
最初の頃は顧問の先生も熱心に厳しく指導してくれていたが、あまりにも上達しないので朝練の時に私たちが練習している傍らでランニングを始めた。これには結構衝撃を受けて、私たちは上手くならないから諦められたと感じた。
そんな中、三年生になり私たちは転機を迎えた。なんと顧問の先生が異動になったのだ。そしてなんと、男子テニス部のあの数学の先生が女子テニス部の顧問になったのだ。
この知らせに私は心の中で大喜びをした。引退までの残り半年になんてラッキーな展開になったのかと喜んだ。
そこから私は更に練習に励み、休みの日も部員の仲間と自主練をし、部活後に家で素振りをしたりと努力した。その先生は練習中や試合中にミスをしても決して怒鳴ることはなかった。
前まではいつ怒鳴られるのかとビクビクしながらプレーをしていた私たちは、伸び伸びプレーができるようになった。そしてテニスの教え方も上手で、私たちは遂に県大会に出られるようにまで上達した。あの頃の私たちにとっては正に奇跡的だった。
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その先生が顧問になってくれたから、私たちは強くなれたし、テニスを心の底から楽しんでプレーができた。私を学校生活からも部活からも救ってくれたその先生のことを、卒業して14年経ったにもかかわらず、忘れられずにいる。その先生に憧れて、中学生の頃に将来の夢は教師になるという夢ができた。
結局未だに教師にはなれていないが、まだその夢を諦めずにいて、今その夢に向かって再スタートを切っているのはいつも心の片隅にその先生がいるからだ。
いつか教師になれたら、その先生にお礼を言いに行きたい。その日を目標に、中学生の頃のように精進するのみだ。