私は、映画の後は決まって、その作品の余韻に浸る。
儚いラブストーリーやメッセージ性のある作品、ミステリー系など、どこか感情や思考をぐるぐると回しながら観ていく作品に惹かれる傾向がある私。
ストーリーのなかに散りばめられたキーワードを拾い、自分なりの推理をしながら物語を見進めていくのだが、クライマックスですべてを知り、登場人物それぞれの思いがわかると、感情を大きく揺さぶられる。そしてそれが、エンドロールと主題歌でさらに膨らんでいくのだ。

◎          ◎

自分で、映画が終わったあとは余韻に浸ろうと決めた訳ではない。しかし、作品の世界観に気づけば入っていて、抜け出せなくなることが多い。自分でも不思議だと思う。
その世界にいるため、頭の中で自分も登場人物となって主人公にセリフをかけてみたり、その後の展開を予想して描いてみたりするのだ。

もちろん、シアターの出口を通り過ぎれば現実に戻る。映画館のロビーを抜ければ、自分自身でしかないし、多くの人が普段の自分に戻るはずだ。一緒に映画をみた友人や恋人と感想を共有している人も多くいる。そんな人たちを横目で見ながら、私は再び映画の世界へと飛び込んでいく。彼らはなぜこのような結末を選んだのか。タイトルに隠された意味とは。自分ならばどんな振る舞いをするだろうか。など、色々考える。

商業施設や駅の構内を歩いているときは、必ずこれらがぐるぐると頭の中を巡っている。ときには、施設の騒がしさを良いことに、セリフや感想を他の人に聞こえないくらいの声で話していたりする。さすがにこれはおかしな行動であると思いながらも、湧き上がってきた感情や感想を今すぐ消化しなければ溢れてしまう作品に出会うこともあるのだ。

◎          ◎

これまでに、友人や家族など誰かと映画を見に行ったことは何度かある。だが、上映が終わると決まって私の思考回路はこのようになる。友人が感想を述べようものなら、自分の思考回路に水を差されているようで不快にさえ感じたこともあるのだ。素敵だと思ったシーンや展開も、他者の感想に引っ張られて違う見方をした作品だと間違って覚えてしまうこともある。映画を見終えたあとの「次どうする?」の質問に対しても、切り替えが早いな、と感じるだけで生返事しかできない。

そのため、映画は基本1人で行くことにしている。
自分1人で行けば、自分の世界だけで作品を見ることができて、誰にも気を使わなくて良い。笑うタイミング、感動の仕方、涙を流すタイミング、全て家で鑑賞しているような感覚になれるからだ。それに、他のお客さんが何人かで感想を言い合っていたとしても無視できることもメリットと言える。友達や家族、恋人とならば会話に繋げないといけないと思ってしまうことも、他人ならばシャットアウトできるところがいい。聞きたくなければ意識を遠ざけてしまえば良いのだ。

◎          ◎

自分が持っている考えの中で映画を楽しみ、それをいい思い出へ変える。自分なりに作品を捉えて評価する。その間に私の耳に入ってくる他人の感想や意見はいらない。自分の中で咀嚼できたその次に、周りの評価を聞くことはあるけれど。

私なりの映画の楽しみ方のひとつであり、ここが最も重要な時間と言っても過言ではないくらい、余韻に浸る時間は大切なのだ。この時間が長いほど、自分の中で収穫が大きい作品になっているとも解釈できる。印象に残ったシーンが鮮明に蘇ってくる映画が終わってすぐの時間だからこそ生み出される感情があり、出てくる言葉があり、できる解釈がある。それを記憶として定着させるためにも、誰にも邪魔されたくない、してほしくない時間なのだ。

邪魔されたくない時間、それは、映画を見終えたあとの余韻に浸る時間。

年々映画を見るたびに、この時間が必要であることを実感するようになってきた。そしてこの時間があるから映画を観ることが楽しくあり、好きだ、と感じるようになってきた。
今後、ますますこの時間が私にとって必要不可欠な時間となってくるだろう。人生をより豊かにしてくれる時間にもなるだろう。

どうか、これからも、この時間を誰にも邪魔されずに過ごせますように。