自分の心を守るために、感情のスイッチをオフに切り替える
「鈍感力」という言葉が流行ってもう何年か経つが、社会人になってから、年々感情のスイッチを意図的にオフにすることが上手になってきた。
仕事相手からの理不尽な要求、決して0にならずむしろ増え続けるタスク、メンタルを病んだ同僚の話やお世話になった先輩の退職といった暗いニュース。昔はもっとしっかり傷ついたり、周りに悲しみや怒りを喚き散らしたりしていたはずなのに、今は「仕方ない」で片づけられるようになってしまった。さらに言うと、特に業務過多で疲労がたまってくると、「感情がぶれると業務に支障が出るのが良くない」という損得勘定により、感情によるエネルギー消費を制限してしまう。自分の心を守るために、あえて感情スイッチを切っているものの、時々このまま感情を制限し続けると、自分は感情を失ってしまうのではないかと不安になることがある。
さらに今は、コロナ禍によりプライベートで自分の感情や感性に触れるような機会も制限されている。例えば好きなアーティストのライブに行ったり、カフェで友達と仕事の愚痴や恋愛事情について話したり、大自然に触れて人間の力ではどうにもならないパワーを得たり、美術館に行って画家がその絵を描いた背景に思いをはせたり。
そんな機械的に仕事、食事、睡眠を繰り返している自分の生活の中で、唯一残された感情を取り戻す時間として、ここ数年でどんどん自分の中での重要度が上がっている時間が、毎月1回、少女漫画の月刊誌を読む時間だ。
感情を取り戻すリハビリに選んだのは「少女漫画」だった
ひとり家の中で感情を取り戻す方法も、いくつかある。例えば、小説を読んだり、サブスクで映画を観たりなど、他の方法で感情を発散している人もいると思う。私も、元気が残っているときは小説や映画に手を伸ばすこともある。
ただ、小説や映画は、まず作品を探すところから始まり労力がかかる。一方月刊誌であれば、発売する日も決まっているし、作品も決まっている。また小説や映画だと、読み続けたり見続けたりする集中力が必要だが、月刊誌の場合は、1話当たりのボリュームが少ない。読み疲れたら残りの作品を読むのを次の日に回すだけだ。小説や映画のように、予想外の展開にドキドキしたり、感情が揺さぶられたりするのは、普段感情スイッチをオフにしている自分にとっては刺激が強すぎるが、少女漫画はだいたいがハッピーエンドだし、くっつくカップルも序盤からなんとなくわかっているので多少のストーリーに意外性があっても、基本は安心して読める。感情のリハビリにはぴったりだ。
最初から目的をもって続けていたわけではないが、自然と続いたのが少女漫画だった。「こんな年にもなって、まだ少女漫画で感動できるのか」と言ってくる人もいるが、私はまだもう少し「少女漫画に感動できる自分」でいたいし、誰にも邪魔されずにひとり感性と向き合う時間を、これからも大切にしていきたい。