今、私は自分の応援しているタレント、いわゆる「推し」に会いたい。
私たちファンの中では、「推し」のイベントやライブ、握手会や交流会に現地にて参加することを「『推し』と会う!」と言うことが多い。
イベントはオンライン配信で自宅からも見られるようになったが、やはりステージと距離があっても、パーテーションで区切られていても、「推し」と同じ空間にいるということは、それほど特別なことだ。
だが、今回の私がここでいう「『推し』に会う」の定義は、「例えばお茶しながらじっくりお話しする」ということを指す。

男女関係以前に、「推し」と普通に日常や仕事について会話したい

舞台上や交流会の場を離れて、「推し」とまるでプライベートなところで会いたいファンは「推しの恋人になりたい」「推しと結婚したい」というような関係を望むことが少なくない。
実際その気持ちもわかる。それぐらい「推し」というものは魅惑的なものだ。
私もその部類と勘違いされるのだが、私は男女関係以前に、「推し」と普通に日常や仕事のことについて会話したいのだ。

番組に出たり歌って踊ってキラキラしている姿も大好きだが、人間性というところでも尊敬している面がある。
タレント業も所詮は仕事でビジネスであり、その仕事を最大限に活かすパフォーマンスの仕方、努力の仕方には惹かれている。
どうやったら自分が売れるか、人気が出るか計算しているんだなと思う。
また得意不得意がはっきりしているところ、ネガティブすぎるところなど共感できるところも多く、自分と同じように不器用なところがあるのに、どうやったら仕事をこなせるのだろうと疑問だ。
そんなことを延々と話したり、楽しく意見交換をしたいと思っている。
友達のようにファミレスやカフェで飲み物片手に「うわ!気づいたらもうこんな時間!」と笑うくらい話せたら最高である。

「推し」と話す計画のため、イベント会社に就職したものの結局クビに

ただ当たり前なのだが、客観的に見て、私は「推し」と長時間も話をできるほどの身分は何も持ち合わせていない。

本当に何の身分もスキルもない私は、イベント会社に就職してキャスティングされた「推し」と仕事として会って、待ち時間や打ち合わせ中の雑談でお話できたらなと目論んでいた。
もちろんその計画は叶わなかった。そもそも入社直後にタレントを起用する予算がなくなり、私は結局クビになった。
転職活動も失敗、今は求職活動中の、ただのニートである。

ただ私は「自分をすごい人」だと誤解している節があるようだ。

自分のやりたいことについて話しただけで、まるでビッグな会社でも立ち上げるかのように今後の展望を話していると注意されたこともある。
面接でも経験不足の点は自主的に勉強しますと伝えたはずなのに、なぜか「経験豊富で自信満々なら良いですが」と嫌味を言われたりした。
前職の会社でも「面接ではいい感じに大きく見せてたから人事も仕事できると勘違いして採用したと思うんだけど」と言われたことも思い出した。
謙遜しても謙遜してもそう言われてしまう。
ビックマウスもここまでくると自分は何の実績も実力もないが、なぜか自信過剰人間なんだなと気づいた。

胸を張って「推し」に会いたいから、ニートの私は結構忙しい

ただそれでもいいと思った。
人生はそれくらい自信を持っていないとやっていけないのではと思う。
「推し」とじっくりお話しできる機会があったら、周りの人に「なんであんな奴が」と言われると思うが、気にせず行こう。
もちろんそのように会うのは、現実的に考えて今すぐは絶対に無理だ。

私も自信過剰といえど、「会うならいろんな実績を積んでいればかっこいいのにな!」と正直思う。

だが「いつか『推し』と会う」では、永遠に私は自分の納得できる人になれないだろうと思う。
「いつか」は「今やらなくていい」と、言い訳になってしまうと思う。
「今すぐにでも、今会いたい」そう思うことで、この一瞬一瞬を頑張ることができるのだ。

そのため、ニートだが、実は結構忙しい。
1日のスケジュールを、前日の夜にホワイトボードに書き、毎日記録をつけて管理しないと追いつかないほどやることがたくさんである。
求職活動はもちろん、次に自分がやりたい業種での資格取得のための勉強、SNSでの発信、グラフィック関係の作品作り、もちろん推し活の遠征やお便りを出すことも欠かせない。

「日本一忙しいニートとして会うのはブランディング的にいけるんちゃうか!?」と冗談で考えてしまうほどだ。
周りからは見たら、負け犬ニートのちっぽけな努力でも、私は自分のできる範囲のことを一生懸命やっているんだ、と言える。
胸を張って努力しているからこそ、「今『推し』に会いたい」と思えるのだ。