「もっと応援していればよかった」

私はこの後悔を、何度繰り返したことか分からない。

なんで?どうして?推しが突然亡くなった終活に明け暮れていた夏の日

始まりは、ある夏の日だった。私は大学4年生で就職活動に明け暮れていた。私がそのニュースを知ったのは、家で就活対策をしている時だった。

推しが亡くなった。

私は頭が真っ白になり、何も考えられなかった。ただ、「なんで?どうして?」そんな言葉が頭の中で反芻していた。
亡くなった理由は分からない。一ファンであった私に分かるはずもない。推しの近しい人でもない私には、どうすることもできなかった。私の中に残ったものは後悔だけ。

推しは俳優だった。私は中学の頃に、きらきらと輝く眩しい笑顔に心奪われ、好きになった。「好きな芸能人は誰?」と聞かれた時には、迷わず推しの名前を答えていた。何かと忙しい学生生活を送っていたため、全作品を追って見ていなかった。だが、好きだった。舞台を見に行ったことはない。ファンレターを送ったこともない。だが、好きだった。

今となっては、それは全て後悔に変わった。

推しが居なくなってから、見ていなかった作品を食い入るように見た。ドラマ、映画、CM、インタビュー動画、とにかく見れるものは片っ端から見ていった。

後悔に苛まれている今の私を、推しが知ったらどう思うだろう…

もうこの先、新しい映像は一生見られないのかと思うと、涙が出た。
もう想いを伝えられないのかと思うと、涙が止まらなかった。

「もしも、推しにファンレターを送っていたら、少しは違った未来になっていたのかな?」
自分でもおこがましいと思う。遠い存在であるはずの私がしてあげられることなんて、ほとんどないのに。遠い存在の私でもこう思うのだ。推しの近くにいた家族、友人、関係者の悲しみや後悔は、計り知れない。

「もっと応援していればよかった」

私はずっとこの後悔に苛まれていた。だが、ふと思った。今の状態を推しが知ったらどう思うのだろうと。はたして、喜んでくれるのだろうか?

映像の中の推しは答えてはくれない。そこに映るのは、きらきらした笑顔の推しだけ。だが、それを見て気が付いた。私たちに「笑顔」を与えてくれた推しが一番望むものは、私たちが「笑顔」いることではないだろうか。

推しは一瞬一瞬、輝いて生きていた。そう見えているだけなのかもしれない。だが、それは紛れもなく私たちの生きる糧となり、人生の一部となっていた。

居なくなってから、こんなにも大切な存在だと気が付いた。私は想いを伝えられない辛さを知った。後悔を知った。

自分を責めることを故人は望まない。どうか、今、行動してほしい

私は皆さんに、どうしても伝えたい。まさに今、大切な人がいるのならば、行動してほしい。いなくなってからでは、遅いのだ。

大切な人たちと「笑顔」で楽しい時間を共有してほしい。
感謝の気持ちを持ったら「ありがとう」と言ってほしい。
恥ずかしがらず「大好き」を伝えてほしい。

それが大切なのではないだろうか?

推しだけではない。コロナウィルスによって、大切な人を亡くした人もいるかもしれない。

大切な人がいなくなった時、私たちは心に深い傷を負う。それが、突然だった場合は、なおさらだ。
「どうして自分が残ったのか?」
「どうして気づいてあげられなかったのか?」
そんな罪悪感から、心の傷を深くえぐる時もあるだろう。

どうか、どうか、自分を責めないでほしい。故人はそれを望んでいないはずだ。

それよりも、故人との想い出を偲び、その想い出をそっと「心」にしまってほしい。いつでも取り出して、抱きしめられるように。

そして、笑顔、感謝、愛。どうか、今いる大切な人と共有してほしい。

1年で学んだことを医療従事者として実践する。私が辿り着いた答え

私は今、1年目の医療従事者として働いている。病院で働く私にとって、人が亡くなることは、普通にあることになった。

患者さんとは笑顔で接する。すぐに感謝の言葉を伝える。愛をもって行動する。

私は、この一年をかけて学んできたことを実践している。
それが後悔に苛まれていた私が、辿り着いた答えだ。

最後にはなりますが、故人のご冥福を心よりお祈り申し上げます。心からの愛をこめて。