寂しいという感情は、ぜいたくなのかもしれない。

中学校の卒業式、涙を流す同級生を見つめていた私

10数年前の中学校の卒業式。
私はかなり離れた県内の高校に進学が決まっていて、同じ高校に進む人間は誰もいなかった。
その日が全員に会うことのできる最後の日だった。

涙を流して、抱きあう同級生たちを、私は冷めた目で見つめていた。
もう二度と会うことはないかもしれないのに、私はたいして寂しいと思わなかった。
感傷的な気持ちはほとんどなかった。むしろ清々した気分に近かった。

思えば中学生の私は“嫌な”やつだった。
早熟で、世の中をすれた目でみつめていた。
勉強であまり苦労したことがなく、授業のレベルは退屈だった。
暇を持て余して、先生にわざと難しい質問をして困らせていた。

みんなで一緒に一つのことを頑張ることにも、楽しさを感じられなかった。
体育祭の練習も合唱祭の練習も、とにかくかったるくて、この時間がはやく終わってくれるのを願っていた。怒られない程度に適当にこなしてごまかしていた。

一番顕著にさぼっていたのは部活動だった。今のレベルが大幅に上がることなど決してないのだから、これ以上練習しても意味ない、ばかばかしいことだとマジレスして顧問に呼び出された。本当のことを言って何が悪いんだろう、そう思っていた。

群れるのが好きではなくて、同級生の女子たちとは、かなり距離があった。クラス内のいくつかのグループが、きゃっきゃと騒いだかと思えば、険悪な雰囲気になり、と思えばまたくっついて一緒に遊んでいる姿を、意味が分からないと遠巻きに眺めていた。友達がいなかったわけではないが、かなり限定されていた。

冷めていた私が、泣きそうになったときが訪れた

なんとなく自分の冷めた性格からして、これから一生別れを惜しんで泣くことなんかないんだろうなと思っていた。別にそれをしたいとも思っていなかった。
しかし、そんな私にもその時が訪れた。

意外にも社会人になってからのことだった。
新卒一年目で私は縁もゆかりもない地方に配属された。
何もかもわからず戸惑う私を、事業所の人たちは暖かく迎え入れてくれた。
ちょうどコロナ流行の最初のピークだったこともあり、よりいっそうその優しさが身に染みた。一年たって、また別の場所に転勤になった。車で駅に向かおうとすると、全員がわざわざ事務所から出て見送ってくれた。

「また異動の希望を書いて、いつでも戻ってきたらええ」
別れ際の言葉に私は泣きそうになった。まだここにいたかった。
“私”を一人の人間として見てくれていた人たちに愛情を感じた。

卒業式に泣いていた同級生たちを、うらやましく感じた

私があの時泣けなかったのは、誰ともそういう関係性を築けなかったからなのかもしれない。
後に私はそう思い始めた。

深い関係を築こうともしなかったし、心を開こうとしたこともなかった。
世の中を斜めに見ている方がかっこいいとすら思っていた節もある。
最初から距離を置いて、結びつきをつくろうともしなかった。

あの日泣いていた同級生たちを思い出す。
昇降口で、抱き合ったり、肩をたたいてお互いを慰めあったりしていた。顔を真っ赤にして涙を流していたことを、なぜか鮮明に覚えている。
彼らは、そんな絆を持っていたのだろうか。それともただ雰囲気に流されていたのか。
今となってはもうわからないことだ。

ただ少しうらやましく感じた。一瞬に過ぎていく”子ども”の時代に、そんな風に思える人間に出会えていたとしたら、それはとても大切な財産なんじゃないだろうか。

別れの場面で涙を流せることは、ある種とても幸福なことなのかもしれない。