気が付けば、あれから3年も経っていた。

あんなに泣くことはもう一生ないのではないだろうと思うほど、枯れるほど泣いた。枯れるほど泣いたのに、枯れることはなかった、何をしても、何を考えても、涙が途切れることはなかった。

中学校でしていた「サッカー」に疑問を抱いたまま、高校でも続けた

高校1年生だった私は、サッカーをしていた。サッカーは中学校でもやっていたが、高校でもやろうなんて気持ちはなかった。日が照って焼けこげそうな日も、雪が降ってスパイクの紐が凍る日も、雨が降ってボールが地面を転がらない日も、外で駆け回ることに疑問を抱いていたのかもしれない。

そんな私が、高校でサッカーをしようなんて、訳が分からない話であった。しかし、女子サッカーの人口が少ない私の地域では、中学校でやっていたというだけで高校から推薦の声がかかる。

やろうと思った理由は一つ、“勉強をせず高校に行けると思った”。これに尽きる。

ただ、中学校と違うのは“女子サッカー部”に入るということだ。中学校は男子と一緒に練習をしていた。チームで女子も2、3人しかいなかった。しかし、高校に入ると全員が女子だった。何が楽しいのかも分からないままサッカーを続けた。

高校の女子サッカー部には、ずば抜けてうまい先輩に釘付けになった

入学式を終え2日経ったとき、練習中にケガをした。靭帯がどうにかなっていたようで、長い松葉杖生活が始まった。まったく楽しさを感じれぬまま、何もできない脚になった。

しかし、一人の先輩に釘付けになり、練習を見るたびにやる気が増した。それはチームでずば抜けてうまい2個上の先輩だった。その人は、まったく驕らない人だった。試合中に怒るわけでもなく淡々とプレーをし、1年生の仕事である荷物持ちも手伝うような、そんな人だった。早く追いつきたくて、一緒にプレーしたくて、痛みなんか忘れて走れそうな気がするほどだった。

サッカーが思いっきりできるようになったのは、夏前からだった。それからサッカーの虜になった。限界まで体を働かせ、練習も練習試合も遠征もただただ一生懸命だった。夢中だった。サッカーをすることに夢中というより、一緒にプレーすることに夢中だったのかもしれない。背中を追って走り回って、勝手にライバル意識を燃やしているのが楽しかったのかもしれない。

憧れの先輩の最後の試合、大雨の中「涙を流しながら」プレイしていた

11月の大雨の日、先輩たちにとって、最後の試合になった。大敗した。憧れの先輩は大雨の中、涙を流しながらサッカーをしていた。

その泣いている背中を見ると、怒りが湧いた。こんなにうまい人の通用しない姿を見ている自分、どうにもできない自分。「泣かないでください」と、ふり絞った言葉。大きい声で言ったつもりだが、雨の音と相手の歓声にかき消されていたかもしれない。

試合が終わって、嗚咽が漏れるほど泣いた。その嗚咽さえもかき消されていただろう。顔を芝にうずくめたまま泣いた。

あの日の雨に濡れた芝にゴムチップの匂い、晴れることを忘れたかのような空を一生忘れることはないだろうと、3年たった今も感じている。悔しがる余地のないほどの大敗と憧れの人の涙は雨を、雨は芝の匂いと雨にまぎれた涙と嗚咽を思い出させると、傘を差しながらバイト先を目指す私は一人で頭を働かせる。