ゆっくり食事をする。社会人になってから、そんな時間が減った気がする。
本当は、朝食の時間がもっとほしい。地元にいた頃のように、ゆっくり味わいたい。なのに、現実は5分ほどで終わり。少し休んだら、すぐ会社へ向かわなければならない。

もっと、時間に余裕をもって行動するべきなのかもしれない。分かっているのに、朝早く目が覚めても「もう少し休みたい」という気持ちを優先させてしまう。

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昔から、食べることが大好きな私。母や祖母が作ってくれる、たくさんの美味しい料理を食べて育った。"美味しい料理"といっても、高価なものではなく、一般家庭の料理。どこか懐かしく、心もお腹も満たされる。私は犬屋敷家の味が、今でも一番だと思っている。

地元では、家族や友人など、毎食誰かと一緒に食べることがほとんどだった。でも、上京してから、ずっと一人暮らし。"誰かと一緒に"食事をしないことの方が多い。地元を離れてから、ただ食べることが好きなのではないと気づいた。同じものを食べていても、一人だと何となく寂しさを感じる。

先日のお盆休み中に帰省して、母の手料理を食べた。仕事で疲れてしまい、食が細くなりつつある私を心配してくれる母。栄養バランスを考えながら、私の食べたいものを作ってくれた。東京に戻る日には、「いっぱい食べて頑張るんだよ」と言って見送ってくれた。久しぶりの実家での食事は、どこかホッとするものがあった。

友人と会って食事をしているとき、誰かと一緒なのが嬉しくて、たくさん食べてしまう。周りの友人たちよりもよく食べるので、「痩せてるのにどこに入るの?」と、驚かれることがしばしば。また、美味しいと感じるとすぐ表情に出てしまうので、「美味しそうに食べるね」と言われてちょっと恥ずかしくなる。

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コロナ禍なのもあり、テレワークの割合が増えた。通勤の手間が省かれる分、バタバタせずに朝食の時間を過ごせる。凝った料理を作れる時間を取れるようになった。でも、やはり一人なので寂しいのは変わらない。

昨年あたりから、行きつけのお店に一人で通うようになった。美味しい料理を、リラックスした状態で食す。店長さんと他愛のない会話をする。疲れた心と身体を、週一で癒しに行く。そんな、自分へのご褒美があるからこそ、仕事を乗り切ることができる。私にとって必要不可欠で、とても大切な時間。

安心感があって、一人で来られる唯一のお店。"ゆっくり食事をする"ことができ、一人であって一人ではないので、まったく寂しさを感じない。もし、この時間がなくなってしまったら、私はきっとダメになってしまうかもしれない。

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じっくりと味わいながら、食事を摂れること。誰かとコミュニケーションを取りながら、楽しく食事をすること。毎日ではなくても、私たちは当たり前のようにできる。特別大きな何かに邪魔されることはない。

でも、自然災害や紛争などで苦しんでいる人たちには、そんな余裕なんてない。「当たり前に過ごせることに感謝しよう」と、最近改めて思った。食べるという幸せを、誰かと共有できる時間。これからの長い人生の中で、それを大切にしていきたい。