いつからだろう。
目覚める朝にときめかなくなったのは。

あぁ、起きよう、起きないと、起きなければ……。
暗闇で目をこじ開け、「起きた!」と声を出す。
布団を剥がして、トイレに行って、時間があれば顔を洗う。

コップ一杯の水を気つけに、後はシナリオ通りに動き始める。

洗う、切る、一部を炒める。一部を茹でる。合わせる。味見する。塩を足し、ゴマをふり、醤油を入れ過ぎたと水を足し、どうしようもないと砂糖でごまかす。時々、時計を見ては、お願いだからもう少しゆっくり動いてくれと頼み、火力を上げては焦げ臭さくなって慌てて火を落とす。

弁当2つに大人4人分の朝食づくり。
これが私の日課である。

朝食をゆっくり味わうことなく出ていく母。忙しいのはわかるけど……

帰宅が遅く出勤の早い母、そして父と妹と私。実家暮らしと年齢がイコールで結ばれたまま、私の食事担当は確固たる地位を築いていった。

あなたがするのがあたりまえ(なんじゃないの?)
わたしがしないとなにもない(けど、いいの?)

声なき声がこだまする。でも、考えている余裕はない。
今日を連れて朝は毎度のようにやってくる。

母の出勤時間が迫る。どんなに朝食を間に合わせても、出勤ギリギリまで仕事をしている母には、時間がない。ゆっくり咬んで味わってほしいという作った者のせめてもの願いを聞き入れるだけの余裕もない。立ってかきこむ母を尻目に腹を立て、味気ない朝食をそそくさとすませ、素っ気ない返事で送り出す。

ややこしい。そして、重苦しい。
どう食べたっていいじゃない。
でも、ゆっくり食べないと体によくないし、もう年だし、元気でいてほしいし…。

私がつくらなくてもいいじゃない。
でも、仕事で疲れている母に代わってもらえないし、妹は慣れない仕事をがんばっているし…。

料理をつくる、ただ素材を組み合わせていく作業の中に、知らず知らずのうちに思いが込められ、私をがんじがらめにしていく。

わたしがするべきなんでしょ(お姉ちゃんだし、もういい大人なんだし、時間もあるし)。

家事をすることで、家にいることが許されたように感じた

転職を目指し定職に就かずにいた1年、家事をすることが家に居てもいいと許されたように私を安心させた。それと同時に、家事ができていないことは、居てもいいという資格を失ったようでこわかった。

誰が決めるともなく、朝食づくりに加え、掃除、洗濯、夕飯といった家事全般が私のあたりまえになっていった。「手伝うで」という父や妹の声を素直に聞けなかった。私から居場所を奪わないでほしいと反発した。

しんどい、やりたくない、さぼりたい、こんな気持ちに蓋をして淡々とやり過ごす中で感情を出さない術を学んだ。機械のように決まった時間に働く。そして、朝のときめきまでなくなった。

夜、眠る前、目を閉じると決まって冷蔵庫の中を思い出す。

「早く使ったほうがいいもの……使いかけのソーセージと、ニンジン、ブロッコリー。先に炒めて、マヨネーズを混ぜた卵液を入れてスパニッシュオムレツにしよう。そんで、チーズをたっぷりと…あぁ、おいしそうやわ……」

脳内では、一人料理番組が繰り広げられ、疑似メニューが次々にでき上がっていく。食べる人なんて誰もいないけれど……。