「一体、私は何歳まで生きていられるんだろう」
「大好きな人たちとずっと一緒に生きていけたらいいのに」
ひとり布団に入り、普段なら考えないはずの“死”について急に考えてしまうとき、私は死ぬことが無性に怖くなって、どうしても眠れない夜を過ごす。
久々に家族で楽しい食事ができて、本当に幸せだった
5月の連休中、私は29歳の誕生日を迎えた。
私の誕生日は毎年祝日だし、母の誕生日もその約1週間前だから、4月の後半からなんだかそわそわしてしまう。
4月29日は妹が母と私の誕生日を祝うために、母がずっと気になっていたレストランを予約してくれ、そこで父も含めた家族4人で楽しく食事をした。妹と私は、時間を忘れて買い物に熱中しがちな母のために茶色の腕時計をプレゼントしたのだけど、嬉しそうに料理が運ばれてくるのを待つ母の腕には、その真新しい腕時計がピカピカと輝いていた。
周りを木々に囲まれた素敵なお店で提供される、器に盛られた色とりどりの料理たち。
「わぁ、どれも美味しそうね」
ふふふと嬉しそうに美味しそうな料理の写真を撮る母。
「車で何度か通ってたけど、初めて来たなあ。おしゃれな店だ」と、きょろきょろする父。
「本当にお母さん、お姉ちゃん、誕生日おめでとう」と、ニコニコしながらスープを飲む妹。
30歳目前の大人の女性になっても、変わらず毎年誕生日を祝ってくれ、私たちが生まれたときのことを昨日のことのように鮮明に思い出してくれ、それを懐かしそうに話してくれる両親と、その話を何十回も聞いているけど母が嬉しそうに話すから、うんうん、と相槌を打つ妹と私。
久々に家族4人での楽しい食事ができて、本当に私は幸せだった。
誕生日前日には彼からのサプライズ。放心状態でイスに座ると
そして私の誕生日前日。仕事を終えて自宅の玄関を開けると、大好きな恋人がクラッカーを持って待ち構えていた。パァン!と、クラッカーが鳴り、メタリックのテープが勢いよく私めがけて飛んできた。
「もぴちゃん、お誕生日おめでとう!!!」
まさか前日からお祝いされると思っていなかった私は、クラッカーの音に驚いたのと、突然の彼からのサプライズに放心状態のままテーブルに連れていかれ、イスに座らされた。
「はい、これつけて」
頭にHappy Birthdayの文字とラブリーなケーキが載ったカチューシャに、「本日の主役」と大きく書かれたたすきを嬉しそうに持ってきた彼。
すっかりパーティー仕様になった私を見て、満足げに笑った彼は台所に戻って電子レンジを操作したり、冷蔵庫を開けたり、なんだかせわしそう。
なにが始まるんだろう?とドキドキそわそわしていると、シャンパンが注がれたワイングラスに、ミニトマトとチーズが交互に並べられたカプレーゼ。そしてお皿に綺麗に並べられたローストビーフとターメリック色のご飯の上にホタテやエビ、赤ピーマンがゴロゴロ載った彩り豊かなパエリアが出てきた。カプレーゼやローストビーフの上にはちょこんと、かわいい飾りの葉っぱまで載せられている。
鳩が豆鉄砲を食らったように目をぱちくりさせて驚く私に微笑みながら、彼は「こちら、コースメニューとなっております、お誕生日前日だけど明日は手料理振る舞えないから……さあ、どうぞ食べて」と促した。
彼のお手製コースメニューはどれも美味しくて、すごく心が温まった。最後には誕生日ケーキも出してくれ、彼は自分が主役じゃないのに終始ニコニコと嬉しそうに、私を見つめた。
私は今まで誕生日を恋人と共に過ごしたことも初めてだし、誕生日はほとんど家族と外食していたから、その日に大切な人の手料理を食べられるなんて思いもしなかった。
パエリアを食べながら嬉しくて涙がこぼれる私に驚きながらも、彼は一緒に美味しいね、とローストビーフを頬張った。
誕生日当日もバラを見にドライブに連れて行ってくれたり、その翌日も2人で潮干狩りに出掛けたり、本当に彼のおかげで楽しい誕生日だった。
家族や恋人と過ごすほかにも連休中は、コロナ禍でしばらく会えていなかった大切な友人たちとも久々に会って、カフェでゆっくり過ごしながら美味しいオムライスに舌鼓を打ったり、お互いの近況を話したり、本当に楽しくてあっという間の夢のような連休だった。
いつか人は死んでいく、という揺るぎない事実を思い出すからこそ
毎日誰かが一緒だった連休が明けた金曜日の夜、私は一人で布団に入った。
「大好きな人たちと過ごせて、すごく、すごく幸せだったな……」
目を瞑ると、嬉しそうな母の笑顔や、美味しそうに料理を食べる恋人の笑顔、「誕生日おめでとう」と微笑む親友の表情がどんどん浮かんでくる。そして、冒頭に戻る。
「一体、私は何歳まで生きていられるんだろう」
「いつまで大好きな人たちとこうやって笑っていられるんだろう」
「家族も、恋人も、友人たちも、ずっと健康でいてほしい」
私たちは生まれた時から死に向かって進んでいて、永遠なんてない、ということは分かっているけど、自分にとって大切な人たちと過ごした時には、なぜだか普段意識しないはずの“死”を突然意識してしまって胸が苦しくなる。
大切な人たちや自分の死を勝手に意識してしまうと眠れなくなってしまうので、そういう時には自分の右手で左肩を抱いて、左手で右肩を抱き、自分を抱きしめるようにして眠れるように、「ふぅ」とゆっくりと息を吐く。
いつか人は死んでいく、という普段は忘れがちだけど、揺るぎない事実を時々思い出すから私は、家族や恋人、友人たちと過ごすこの時間を大切にしようと改めて思える。こんな苦しい夜も大切だと気付けたのはつい最近のことだ。
いつ“その時”がやってくるか分からないからこそ、後悔のないようにいつもご機嫌に楽しく生きていたいし、私の周りの大好きな人たちにはいつだって「ありがとう」や「好き」をどんどん伝えたいと思っている。そう再確認させてくれた連休明けの金曜日。
29歳の私もそんな自分でありたいと胸に刻んで、私は眠りにつけるようにゆっくりと瞼を閉じた。