今まで旅行で訪れた街や住んだ街は、どれも忘れ難いものだ。まるで私の脳内に世界地図が出来上がっていくかのように、忘れられない街が蓄積されていく。
今回はその中でも、忘れられない、というよりは、こんな国際情勢だからこそ忘れたくないと思った街について記そう。

ブダペストで偶然出会った、おしゃれで不思議な像

2度目にハンガリーを訪れ、ドナウの真珠とも称される首都ブダペストを観光したときのこと。友人と一緒に夕暮れのドナウ川沿いを歩いていると、とある像に出会った。

はじめは不思議な像だと思った。こんな像はガイドブックに載っていただろうか。柵も何もないところにたくさんの靴が並んでいた。
大小さまざま、男性のものもあれば女性のものもある。ブーツにパンプス、ちょっとヒールの高い靴に革靴、スニーカー。これはおしゃれな写真が撮れそうだと、私はスマートフォンのカメラを起動した。

レンズを向けてふと違和感を覚えた。これらの靴はなぜみんな川の方を向いているのだろう。川で遊ぶのに脱ぎ散らかしたというよりは、礼儀正しくきちんと揃えられている。川の方へ視線を移すと、たとえ水位が上がったときでも飛び込むには高すぎる。どことなく不穏なものを感じていると、すぐそばにハンガリー語と英語、そしてヘブライ語で説明らしきものが書いてあるのを発見した。

川沿いに並べられた靴に、カメラを向けられなかった

説明書きによると、第二次世界大戦末期にこの場所で多くのユダヤ人が射殺され、川に落とされたという。その際に、靴は高価なものだからわざわざ脱いでおくように指示されたようだ。そのため大人用の靴も子ども用の靴も、こんなにきちんと揃えて並んでいるのだろう。その犠牲者たちを弔うべく、2005年に設置された像だそうだ。

説明を読んで、私はカメラを向けるのをやめた。靴の像なんて洒落ていると、一瞬でも思ってしまった自分がどこか恥ずかしい。写真に撮ってSNSに上げれば、この像の存在を他の人にも伝えられるじゃないかとも考えたが、それは私の領分ではない気がした。

世界史は好きでたくさん勉強した。だが、靴の像とその背景については、ここに来るまで知らなかった。おしゃれでインスタ映えしそうだとか、そんな軽い気持ちで写真に映していいとは思えなかった。
夕日に照らされて整然と並ぶ靴たちを、私は静かに見つめた。楽しげに写真を撮る人もいたが、私にはただ見つめることしかできなかった。茜色に染まる靴の像は、皮肉にも美しかった。

私に多くのことを語りかけてくる、歴史の記憶

世界には、先の戦争が残した爪痕、残酷な記憶、いわゆる“負の遺産”と呼ばれるような静かなモニュメントがたくさんあるだろう。出来事を記憶している人すら残っていなくて、歴史として残せなかったものも多々あるはずだ。

この不安定な情勢の中でそれらに思いを馳せる。そして、このような残酷な記憶が繰り返されないよう、さらに多くの悲しい記憶がこの世界に刻まれないよう、平和を祈る。
ブダペストの靴の像は今でも私の記憶に残り、静寂の中で多くのことを語りかけてくる。あの日見た夕暮れの景色と、そこにひっそりと並ぶ靴を、私は一生忘れない。忘れてはいけないと思う。その景色は写真として残ってはいないものの、写真よりも鮮明に私の記憶の中にある。