私が性に歩み寄り、性に飲み込まれてから4年が経った。

私は22歳まで、性というものを非常に汚らわしいものだと思っており、できる限り遠ざけようと努力してきた。
小学校の理科の時間、雄しべと雌しべをくっつけると受粉すると、当たり前のように説明する先生を見て、こんなに大勢の前で、大きな声で、なんてことを言っているのだと驚いた。

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中学校から高校にかけて、保健の授業では性についてより詳しく説明されるようになった。
教科書には具体的な女性器と男性器の絵が載り、受精の仕組みが詳しく書かれていた、と思う。教科書を開けと言われたから仕方なく開いていただけで、極力見ないようにしていたからはっきりとは覚えていない。保健体育の科目に性に関する単元が入っているがために、こんなにも恥ずかしいことを教えなければならない教師に同情の念すら覚えた。
私は真面目な優等生だったが、保健のテストは平均を大きく下回る点数を取った。性に関する問題は、全て空欄のまま提出したからだ。教師も仕方なくこのような問題を出しているのであって、本来は答えない方が正しいのだ。多くの空欄が残った解答用紙を提出するとき、私は非常に誇らしい気分だった。

大学生になると保健の授業はなくなったが、日々どこかしらから性に関する言葉が耳に入ってきた。サークルの飲み会で、それは顕著に表れた。
友人同士が、性に関するであろう話を楽しそうにしていた。私はその時も性について知りたいとは思わなかったが、友達が楽しそうにしているのを見るのは嬉しかったし、性についてほんのわずかな知識しかない私を、面白くいじってくれたので、居心地が良かった。
このまま何も知らないでいた方が面白いのではないか、私の今までの考え方は間違っていなかったのだと自信が生まれた。

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しかし、だんだんと知識不足による弊害が出てきた。
22歳の春、友達とディスカウントストアに行ったとき、私はボウリングのピンを少し太くしたようなものを見つけ、「あれ何?」と聞くと、「大きな声で言っちゃダメだって!」と言われた。どうやら男性が性に関する行為をするときに使うものらしい。用途は教えてもらえなかった。

このとき、私は急に怖くなった。面白いデザインだからと、SNSでいいね!を押していたあの画像も、男子が使っていて語感がいいからとマネして使っていたあの言葉も、もしかしたらとてつもなく性的なものだったのではないか。
性的なものが汚らわしいものだという認識を改めるつもりはないが、自分が恥をかかないために、ある程度の知識は持っておいた方がいいのではないかと思い始めた。

それから私は、性の知識を増やす試みを始めた。
同じ学科の友人が、そのような話を躊躇なく教えてくれたので、私はひたすらに質問し、性の知識を更新した。この試みの中で、驚いたことは山のようにあった。
映画の性行為のシーンでパンパンと音が鳴るのは、男性が女性の尻を叩いている音ではないらしい。勃起というのは、男性器が地面と平行になることではなく、実際はもっと反り返るそうだ。セックスは夜中から朝までするものではないし、男性器は肌色ではない。
聞いたことがない情報の数々を耳にして、当たり前のように真面目に生活をしている大人たちも、こんなことを当然知っていて、動物のように理性を捨てて快楽を求めているのかと、大きな衝撃を覚えるとともに、なぜか安心感を覚えた。
みんなどこかに逃げ道を持っているんだ。真面目に生きることに疲れて、何となく、もう死んでもいいかなと思っていた私にとって、性に関する行為は、とてつもなく輝いて見えた。
それまで自分の中で禁止していたものを許すという背徳感も相まって、性への興味はとどまるところを知らなかった。

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それから4年経ち、私は社会人となった。この4年間、自慰行為に翻弄されながら、性について、特にセックスについて考えていた。
もう4年間も一人でこんなことをしている。いい加減、一人ではなく誰かとセックスをしてみたい。セックスというのはすごい。人と人との境界線を越えて、その奥でつながることができるのだから。いやむしろ、セックスをすることで初めて人と人との境界線を実感することができるのではないだろうか。
しかし現状は、セックスどころか、好きな人と手をつなぐことも、抱き合うことも、キスをすることも経験せず、気づけば26歳だ。

私は意を決して、自分から積極的に男性と関わることにした。動機はセックスを経験したい、それだけだ。不純な動機だと、もう一人の自分が笑っていた。

先日、友達が紹介してくれた男性と2人で飲みに行く約束をした。私はようやく、この人とセックスがしたい!と思える人に出会えたのだ。
この人になら遊ばれてもいい、どんな風にされてもいい。初めてのハグもキスもセックスも、全部あげてしまいたい。そんな想いを描きながら、約束の日を迎えるまで、パックや小顔ローラーをし、全身の毛を剃った。
当日の朝、自分では冷静なつもりでいたが、職場に着いてから腕時計を忘れていることに気が付いた。

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19時、居酒屋に着いた。メニューを選び、ご飯を食べながら他愛もない話をしていたら退室の時間になった。このあと、どうすればいいのだろう。期待と不安を抱えたまま歩いていると、その男性は「俺、こっちだから。またね」と言って駅のホームへ消えていった。
今から呼び止めれば、「2次会行きませんか」とメッセージを送ったら、セックスできるかもしれない。そう思いながら、何もできなかった。
私は駅のホームに立ち尽くし、2時間動けなかった。

セックスができなかった。ようやく、実現できると思ったのに。
冷静になって考えると、セックス以前に改善すべきところは多くあると思う。しかし、自分だけは「セックスを経験してみたい」という自分の夢を応援してあげたい。
そして夢が実現し、相手との境界線を越えるくらいに密着したときには、それでもやっぱり境界線はあるんだ!私は一人の、存在する人間なんだと実感するのだ。

性の探求はまだ始まったばかりだ。これからも探求の結果を描き続けたい。