仙台は私にとって忘れられない街だ。
私は高校を卒業後、就職した。その会社の取引先は日本全国にあり、20歳の夏、同期と2人で仙台の店舗で1か月ほど働いた。
2011年に起こった東日本大震災の2年経った時であり、至る所にその影響を見た。同じ店舗で働く人の中には、地震の影響で元々働いていた会社を辞めざるを得なかった人もいた。街中は整備されて綺麗に直されていたが、史跡や鉄道は復旧に時間が掛かっていて通行止めの箇所もあった。私の住んでいる地域はあまり影響がなかったので、身近に東日本大震災の一部を感じる度に心がドキリとしたことを覚えている。

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私はその出張で初めて実家から離れて暮らした。
そこでの仕事になかなか慣れず、出勤するのが嫌だった。出張の前まで担当していた店舗はのんびり買い物するお客さんが多く、ゆったりと仕事が出来るところだった。仙台の店舗は1日中忙しく、店内は広くお客さんは急いでいる感じでせわしなく、全く雰囲気の違った店舗だった。

実家では食事も洗濯もしてもらっていたので、家事をほとんど初めてすることになった。同期との2人暮らしはワンルームでプライベートがほとんどなかったが、小さなロフトがあり、使っていいよと同期が譲ってくれたおかげで唯一のプライベートスペースが出来た。
朝食を用意するついでに冷凍食品だらけのお弁当を作った。仕事が終わり帰宅し夕食を作って食べ風呂に入る。その後洗濯機を回して干してから眠る。そんな1日を過ごしていた。
同期は朝食を食べない人で、昼は休憩中に調達していた。夜は気が向いた時においしいごはんを作ってくれて、それを分けてもらう日もあった。

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休みの日、同期とバスと電車を使って仙台の中心部へと出かけた。私がお城好きなので、青葉城に付き合ってもらってから駅前のファッションビルで買い物やプリクラを撮り、名物のずんだ餅と牛タンを食べて観光を満喫して帰宅した。私は友人と遊ぶことが少ないので新鮮な気持ちだった。
別の日、社宅の近くに24時間の銭湯・岩盤浴があり、2人とも翌日がお休みだったので仕事終わりに2人で行った。のんびりお風呂に浸かり、岩盤浴でまた汗を流す。そして日付が変わった頃歩いて社宅へと帰った。
私の実家では遅くまで出歩くのは禁止で、とても新鮮で楽しかった。車の通りも少なく、歩いている人もいない。2人でふざけながらの帰り道は、小さな頃の大晦日の気分に似ていた。同期は友人が多くこういう遊び方には慣れていて、変な言い方かもしれないが勉強になった。

同じ日に休みが一緒になることはあまりなく、ほとんどは1人で過ごしていた。今思えばその頃の私はお金を使うのはもったいない、1人だけに使うなんて論外、貯金しなければという考えでいっぱいだったと思う。
出張が始まってすぐの頃は、近くのスーパーに出掛けて部屋の掃除をするくらいの休みだったが、同期と共に遊ぶうちにもっと何かを体験したいと感じるようになった。丁度興味のあった舞台が仙台で公演をしていることを知り、初めてインターネットでチケットを予約して、1人でまたバスと電車を乗り継いで観に行った。それはもう感動して、その後別の地域での公演の際も観に行くくらいファンになった。他の日には1時間30分かけて電車に乗って天文台にプラネタリウムを観に行ったり、遺跡の博物館なども行った。

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出張中いろんな場所に行って感じた事は、調べるだけならいくらでも調べられるが、感じる事は本当に体験してみないとどう感じるかが分からなかった事だ。
ニュースであれほど東日本大震災を目にしていたが、実際にその土地で被害にあったものを見たり通行止めや交通規制での遠回りを目の当たりにして、どれだけ恐ろしい事が一瞬で起きたのかと考えるだけで怖かった。初めての舞台や博物館は口コミでいろんな意見や感想があった。それを見て行くかどうか迷っていたが、本当に行って良かった。迷ったら試してみる事を学べた出張だったと思う。

来年で仙台に行ってから10年になるが、その時のことを思い出すとドキドキする。またいつかもっとゆっくり仙台を巡りたいと思う。