昨年の祖母の葬儀。
火葬炉の扉が閉まるまで、私は泣かなかった。
祖母には、小さいころからべったりだった。
それを知っている周りの大人たちは、私が終始泣くと思っていたに違いない。
私が最後まで涙を堪えたのは、ある理由があったからだった。

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余命宣告をされてから、寝たきりになった祖母。
全身に走るようになった痛みを和らげるため、強い薬を服用していた。
すると、祖母に異変が起き始めた。
最初は、たまに会話が成り立たないことがあるくらいだった。
そのうちに、ボーッとしながら、一点を見つめていることが多くなった。
かんしゃくを起こしている姿を見たときには、とても驚いた。
私が知っている、元気だったときの祖母ではなかった。
すべて、せん妄の症状だった。

そんな中でも、症状がなくて穏やかなときがあった。
会話をするたびに、祖母は私によくこう言っていた。
「ばあさんが死んだら、笑顔で見送っとくれね」
その言葉を聞いただけでも、涙が溢れてきそうになった。
私や母が泣いてしまったら、祖母はきっと「自分のせいで泣いている」と悲しむ。
だから、私は祖母が生きている間、ずっと笑顔で接していた。
どうしても無理そうだったら、祖母に見えない所へ移動してから泣いた。
祖母の前では、絶対に泣かないようにした。
安心させてあげたいという気持ちからだった。

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祖母が亡くなったという知らせを受けたのは、仕事をしている最中だった。
両親からの、異常な数の不在着信。
「また帰るからね」と言ったら、笑顔で「またね」と返してくれた祖母。
また会えると信じていた日は、二度と来ない。
そう遠くない日に来ると分かっていた別れ。
でも、あまりにも早すぎた。

急いで実家に戻り、居間へ向かった。
そこには、顔に白い布をかけられて、横たわる祖母がいた。
布をそっとめくると、祖母は穏やかな表情をしていた。
ぐっすりと昼寝をしていたときの顔と同じだった。
そんな祖母を見ても、私は泣かなかった。
祖母がこの世を去ったという事実を、私はすぐに受け入れられなかった。
思考も感情も、停止してしまっているような感覚になった。
多くの人が弔問に訪れている間、私は無心で母を手伝いながら、忙しい日々を送った。
数日後、祖母の葬儀が執り行われた。
前日までの疲労感からか、私は頭がボーッとした状態で座っていた。
親族や知り合いの方々へ挨拶をしていても、会話の内容はまったく頭に入ってこなかった。
遺影を持っているときも、斎場から火葬場へ向かっている間も。
私は、「泣かずに見送るんだ」と自分に言い聞かせていた。
本当は、悲しい気持ちでいっぱいになっていた。

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炉前でお別れをしているときだった。
母が「ありがとう」と何度も言って泣きながら、なかなか祖母から離れなかった。
実の母親との永遠の別れ。
自分がその立場だったらと思うと、母の気持ちが痛いほど分かった。
「そろそろ、さよならしよう」と母をなだめながら、私は歯をくいしばった。
涙が今にも溢れそうになっていた。
祖母が火葬炉に運ばれていき、スタッフの方が扉をゆっくり閉めた。
その瞬間、今まで堪えていた涙が一気に私の目から溢れ出てきた。
母に背中を擦られながら、私はハンカチで涙を拭いた。
それでも溢れてくるので、少しの間トイレにこもって泣いていた。
昔は泣き虫だった私。
「ピーピー泣いてちゃ、幸せが逃げていくよ」と、いつも祖母に叱られていた。
泣くという感情を抑えるようになって、いいこともあった。
クラスの男子にからかわれることはなくなったし、祖母には「よく我慢したね」と褒めてもらえた。
けれど、このときはあんなに涙を堪えてきたのに、全然幸せではなかった。
だって、大好きな祖母がいなくなってしまったのだから。

あれから9ヵ月。
笑顔で見送れば、残された私たちも前向きになれると思っていた。
祖母が安心して霊山へ旅立てると信じていた。
「そんなに悲しんでいては、成仏できない」と、知り合いの方に諭されたこともある。
でも、悲しいものは悲しい。
私は、いまだに祖母を思い出して泣いてしまう。
そろそろ、本当に前に進まなければならない。
どんなときも、祖母が好きだと言ってくれた笑顔で、自分の幸せを考えながら生きていきたい。