卒業式では、私は過去に一度も泣いたことがない。
それどころか、涙が薄っすらと浮かんできたことすらないのだ。

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もともと、感動という感覚を忘れてきたのかと言わんばかりに感情が薄い私。ドラマの演出も、映画のクライマックスも、ノンフィクションのドキュメンタリーも、全て涙を流すことなく鑑賞していた。悲しいとは思うが、それ以上に、登場人物たちに救いの手を差し伸べる方法を模索してしまう。私の癖だ。
悲しむというよりも、その先をどうするか、どのように考えるか、という思考にシフトするのがどうも得意らしい。悲しい・寂しいという感情を無意識に避けているとも言える。

記憶に鮮明に残っているのは、小学校の卒業式だ。
6年間通った小学校の卒業式。私の地元は小さな町だったため、それぞれ学年1クラスであることが当たり前だった。
1年生で出会った同級生たちと6年間過ごすことになる。もっと言えば、保育園のころから知っている人がほとんどなので、気づいたら一緒にいる人達と小学校生活を共に過ごしていた、ということになる。
絆が強いと言われたらそうなのだろうが、そこまで強い結束感で縛られている感覚はなかった。どちらかというと、1つ下の学年の方がクラスとしての結束感が高く、お世話になった担任の先生が離任されるときには大号泣が起こったものだ。

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当たり前だらけで過ごした小学校を卒業する、卒業式の日。私の学校では、進学する中学校の制服をまとって出席することとなっていた。
数週間後から3年間、身につけることになる、まだ真新しい中学校の制服を身にまとい、胸に、“卒業おめでとう”のブローチを付けて歩く。卒業式が行われる体育館まで、少し緊張した面持ちで歩いて行く私たち。入場口前まで進み、号令があるまで待機する。入場の号令とともに起こる拍手を聞きながら、厳かな雰囲気の体育館に一礼をして、一歩ずつゆっくりと自分の席まで歩み進めていく。

式典が進み、卒業生が在校生や保護者に向けて合唱するプログラムになった。ステージ下に組まれたひな壇に登っていき、合唱をする。
6年間の思い出は、クラスメイトにとっては相当濃いものや印象的なものがあったのだろう。歌が進んでいくと、周りからすすり泣く音が聞こえてきた。1人泣くと、また1人。隣近所に連鎖していき、クラスの半分が泣いていた。
私の周りでも、合唱が中盤に差し掛かったときにすすり泣く同級生がいた。曲が終盤になり、これを終えれば退場、式典が終わるといった頃には、その同級生は嗚咽まで聞こえるくらいの号泣っぷりだった。案の定、退場してからも泣き止まず、一緒に退場した先生からも心配されるくらいだった。

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一方、私はと言うと、その同級生が泣き始めてから、笑いを堪えるのに必死だった。
もちろん、その子を馬鹿にしているわけではない。ちゃんと理由があるのだ。

先程も言ったように、私の地元は小さな町だ。
そのため、中学校が町に1つしかない。
おわかりだろうか。ほとんどの生徒が、4月からもまた顔を合わせるのだ。
それに、私の学年は中学受験をする人がいなかった。すなわち、全員が地元の中学へ進学することが決まっていたのだ。

これのどこに寂しさや別離の悲しさを感じたら良いのだろうか。私にはわからなかった。それが故に、泣き始めた同級生に対して動揺が隠せず、口角が上がってしまったのだ。ニヤリ、といった効果音がピッタリ当てはまる。
小学校を卒業した、ということに関しても、義務教育であり、中学へ進学するステップの1つだと思っていたため、涙を流す感情は全く湧いて来なかった。それどころか、4月から中学へ進学できることへのワクワクや希望に満ち溢れた感情の方が大きかった。早く大人になりたいと思っていた私にとって、卒業は進学へのステップであり、大人への階段を登ったと感じられるイベントなのだ。

これは、中学、高校、大学の卒業式でも同じだった。次へのステップであり、学校へ通いきった達成感と1つ大人になれる希望で溢れていた。

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私が卒業式で泣かなかった理由。
それは、卒業は大人への一歩を身をもって感じられるイベントであったから。
そして、1つ大人になれることが嬉しくて、次の進学や就職に希望を感じていたから。

薄情な一面もあると思う。だが、何も感じていないわけではなく、自分なりの捉え方があったのだ。私を薄情者と受け取るのは勝手だ。私はなんとも思わない。
それでも、卒業式は感動するだけではなく、次への一歩と捉えることもできるのだと子どもながらに思ったことは自分の誇りだと思っている。

卒業式で泣かなかったことは、私らしさを表す1つなのかもしれない。