……絶対あそこに住むんだ。
あれは、青い空にもくもくとした白い雲が眩しい、ある春の朝だった。就職したての私は、まだ少し冷たい春の空気を自転車で切りながら、ちらりと横目で見てそう思った。
シックなダークグレーの外観に、1階に停まった白いピカピカの車。アルファベットなのに筆書きフォントがちぐはぐなのに、それすらも高級に見えるシルバーの館名板。空きがない、と言われて諦めた理想の物件だった。

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それから半年。就職をきっかけに新しい家を探していたが、なかなか住みたいと思うような家がなく、職場も十分な近さ、手狭な古い家ながら家賃もなかなか安いときて、住み慣れた家を引っ越せずにいた。

休みの日、いつものように、きしむロフトベッドの上で昼の日差しを浴びながら目を覚ます。寝ぼけまなこに、ふとある不動産屋のサイトを訪れ、例のアパートを検索した。

あれ?空きあり?
他のサイトで確かめると空きなし、との表示。
半ば訝しみながらもすぐさま不動産屋に問い合わせメールを送ったところ、程なくして電話が。確かに空き予定らしかった。しかも内見できる一番早い日が休みときた。お昼に内見予約をして、わくわくしながらその日を待った。

いくつかのお部屋を内見して、最後がお目当ての物件だった。入った瞬間、その光量に驚いた。
白いタイルに白い壁、扉はぐっと落ち着いたダークブラウンで、広々としたリビング。3口コンロで作業スペースもしっかりある上に、流しも大きいカウンターキッチン。トイレやお風呂はダークグレーの床がカッコよく、小さな窓がついている。

ネットの写真でわかってはいたものの、こんな素敵だなんて。いい!やっぱりここに住みたい!……と思ったが、絶望的な唯一の懸念点があった。
そのアパートにはエレベーターがなく、お部屋は最上階の4階なのだ。階段なのは知っていたはずだが、すっかり忘れていた。

土地柄と1LDKからしてもなかなかお手頃なお家賃なのだが、4階までの階段はその全ての良さをひっくり返してしまう程キツイ。即決できず不動産屋に立ち戻り悩んでいると、側から例のお部屋の内見予約が入るではないか。
2件目の電話がかかってきたところで心を決め、すぐ入居の書類を書くことにした。

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それから引っ越しまではあっという間だった。
窓が多い家で、メインの窓にはレースが綺麗なグレーの大柄なフラワー模様のカーテンを新調し、カーペットも色を揃えて一新した。今まで置けなかったソファーも購入し、ベッドもこの際買い替えた。すのこベッドだが、マットレスは程よい弾力のあるセミダブルだ。シーツは床まで届くドレープのついた物を選んだ。

4階までの階段も登りたくなるような素敵なお部屋での生活が始まった。
朝は電気をつけなくてもいいくらい明るい室内で、ソファーでゆっくり。昼は風に揺れるレースカーテンを眺めながら、広いベランダで洗濯物を干す。広々キッチンでお料理も楽しい。夜はお風呂の小窓を少し開け、涼しい風を感じながら湯船に浸かる。1日の締めはフェイスパックをしながらセミダブルベッドへダイブ。
なんて幸せ者なんだろう、と思えてくる贅沢な一人の時間。

家がアップグレードし、友人と賑やかに過ごすことも増えた。定期的に泊まりに来てくれる友人には申し訳ないが、こだわりの部屋で過ごす充実した1人の時間はやはり特別だ。

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電気をつけずとも光の溢れる朝から昼の時間帯は特に好き。お気に入りのカーテンがなびくのを見ながらやることは、何をするのにも充実感を与えてくれる。お風呂でのんびりするのも、セミダブルベッドでゴロゴロしながら朝を迎えるのも、たまらなく幸せだ。昔は嫌いだった掃除さえも精が出る。

職業柄、この先引っ越しが避けられないのは理解している。だからこそ、涙が出てくるほど幸せに思える今の部屋を最高に楽しんでいる。仕事で疲れた私は、この部屋に帰るために最後の元気を振り絞って4階まで階段を登る。