大学を出る年になるくらいまで、私は父が本当に苦手だった。
「だった」と過去形で表現しているものの、結局は25を過ぎた今も未だに得意ではないのだと思う。
それは小さな頃から両親の喧嘩を絶え間なく見続けたためでもあるし、自分自身も理不尽な理由で怒鳴られた経験が数多くあるためでもある。ゆえに昔は憎悪の気持ちが強かった。
だが、強すぎたせいか、ありとあらゆる父との争いの記憶はもはや過去の記憶として忘却の彼方へ消えてしまったようで、今となっては私の心には「苦手だった」という感情だけが残っている。
子供の頃、我が家では父はある意味「絶対悪」な存在だった。常に家族での喧嘩は父1人に対し、子供と母3人の構図。家族のライングループに父ははじめから招待しなかったし、両親が離婚してしまった今、ついに一生父がそこに加わることはなくなった。
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しかしいつの頃からか、私は自分が「母ではなく父に似ている」と自覚するようになった。
元々、父に似ている節は多かったのだが、それは所謂「良いところ」を取り上げる際に言われることが多かった。
国立大学に進学したときも、仕事で褒められたときも、あんなに父が嫌いな母に「そういうところはお父さんそっくりね」とよく言われた。
いつの頃からか、その「そっくりね」の言葉は「悪いクセ」が出たときにも使われるようになった。親子喧嘩のとき少し口が過ぎたとき、母と気を遣うタイミングがズレたとき、同じように母は「お父さんそっくりね」と言うようになった。
はじめの頃、この言葉は私の自尊心をひどく傷つけた。何故なら父は我が家では「絶対悪」で「大の苦手な存在」だから。あの忌まわしい父に似てるなんて、そのせいで母から疎まれるかもしれないと思うだけで涙が出た。
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そんなある日、母と喧嘩したときに「あんなにも父が母に怒っていた理由が分かった」瞬間があった。
私と父にある当たり前の尺度が、母にはない。だから父はあんなにも怒っていたし、今も理解し合えないでいるのだと私は気がついた。
その自覚はある意味、高校生の頃の私では絶対に受け止められない自覚だったと思う。あんな父と同じ考えを持っているなんて、と。
しかし社会に出て、数年が経ち、様々な人との関わりを経験する中で、自分のコミュニケーションの癖を理解しかけてきた25歳の私には、なんだか腑に落ちる自覚だった。
その自覚が芽生えてから、私は父との会話が急に上達した。これまでは機嫌を伺いながらしか話せなかったのだが、「きっと父はこう考えて、この結論を述べている」と想像が働くようになり、とてつもなくぎこちなかった会話が、すごく親子らしい会話に変化した。仕事について、人生の捉え方や行動の理由について、私は父によく話すようになったし、父はそれに対し真っ当な助言をくれるようになった。
これはきっと私だけの変化でなく、以前よりも父が丸くなったことも影響しているだろう。いずれにしても25年の時間がなければあり得なかった関係性に思える。
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今でもやはり父との会話は多少緊張する。会うとなると身構えるが、それは少なくとも20年は父のことが苦手だったのだから仕方がない。
でも以前よりも深い話ができるような関係になれたのは、父に似ていることを自分がすんなり受け止められたからこそだ。
少なくとも父の人生の残り時間は圧倒的に短くなってきているわけで。私はその瞬間が来たときに後悔しないよう、せっかく受け止めることができた父親似という事実とともに関係を育んでいきたい。