最近の人たちは、全員とは言わないものの、何か喧嘩腰だ。多分、私のような人間に対してだけ、そうなんだろうけれど、ぱっと見と肩書きで人を判断して、自分の中の物差しで、価値が低いと見なしたら見下し、気が抜けると嫌味まで飛び出す。
のらりくらりかわし、「私は楽しくやってるよ」と言うと、淒い勢いでキレてくるから、怖いったらない。カルシウムが不足しているのかもしれない。それにしても、煮干しが消し炭になりそうなくらい、燃え盛っている。

ただ、私にはそういう感情は無いかといったら、そうでもなかった。そういうことを言いたくなる時期もあった。
カルシウムが足りてなかったのかもしれない。あの頃は、何も楽しくなかった。

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社会人になって、それなりにお金に余裕ができた頃、倹約家の母をバカにしていた。あれもこれも家にあるもので賄う母を見下し、勝手に勝った気分になって、少しでも負けた気がすると、悔しくてならなかった。
いつも母と自分を比べた。私と違う価値観を持つ母に対し、私が勝っているんだと言い聞かせないと、気が済まなかった。

私は同年代の皆と同じ生活をしているから、合わないのは母だけ。何か楽しそうに見える母に対し、私は毎日の生活も単調で、楽しくなかった。しかも人の心の機微なんて、少しも見ていないから、誰も私を人らしく扱うことはなかった。
母は皆と同じじゃないから、おかしい。なんでも作ったり直したりしていたら、何も買えない。そんな生活はつまらない。服もいつも地味で、貧乏くさい。外食にも行かず、一人分だけ作るときは、余り物でしけたご飯を食べている。みすぼらしくて可哀想。あんな風にならなくてよかった。

そう思っているのに、母がよそ行き用に一等いい服を出してくると、悔しくてならなかった。樺細工のアクセサリーケースが、その中にあるシルバーのブローチが、誕生石のネックレスが、羨ましくてならなかった。
なんであんな地味な母のくせにと思った。こんなものを持っている意味のない、価値のない人間なのに。
私の方が価値があるのに、何も持っていない。服もアクセサリーも、たくさんあるけど安物ばかり。愛着もない。冷蔵庫の中にあるもので美味しいものを作る知恵も、壊れたものを直す技術も、何一つなかった。
それでもこんなことを、言わないまでも思い続けた私のことを、母は「バカにしてるでしょ」と見透かしていた。

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我ながら、しかも実の母に対し、ひどいことを思っていたものだ。しかしその考えも、一つのカゴをきっかけに変わった。

ある日、ネットで見つけた籐のカゴがかわいらしく、欲しいなと思って母に相談したら、「ばあちゃんのところに山ほどある」と言われた。
「まぁ、それはちょっと知ってたけど、そんな古臭くてださいのなんていらないから」なんてことは流石に言えず、黙っていたら、とっとと祖母の家に連れて行かれてしまった。

カゴがあちらこちらから出てくる。どれだけ作ったんだと驚いた。
まぁ、思ったよりは悪くないけど、持って行くのは躊躇われた。こんなケチくさいことはしたくない。しかし一個一万円近いカゴを買うより、多少見劣りしても、これを拾った方がいい。
悩んだが、恥が勝った。劣等感が勝ったと言ってもいい。「なんか違うわ」と、強がりを言って帰った。

しかしその後、物で溢れた汚い私の部屋を見兼ねた母が、収納用にと適当に籐のカゴを持ってきて、さっさとそこに化粧品を詰め込んでしまった。勝手なことをして、と思ったが、部屋は少し片付いた。
それから、そのカゴはシンプルで、なんだかかわいかった。これも悪くないんじゃないの?と、認めてしまってから、気が楽になった。むしろこれがよくなって、母のような生活をするようになった。
実は私は、母が羨ましかったらしい。そうでなければ、あそこまで敵視しなかったかもしれない。

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今の超消費主義社会にとって、私たちのような人間は不都合だろう。しかし、こちらの方が楽しいと気がついてしまったのだ。敵視され、生きにくくなっても、やめられない。そのくらい楽しい。

むしろ私は、以前の私が滑稽でならない。カッコつけてもカッコ悪くて、しかもただ世の風潮に流されているだけ。自分の頭で考えることを放棄し、はりぼてを崇拝し、実の母を見下す、バカだった。
しかし、ちょっと油断しただけで、落ちてしまった。そのくらい、今のメディアやネットの力は大きい。要らないものまで買わないと、経済が機能しないから、煽るしかない。その裏で、大量の物が捨てられているのに。それに、まんまとはまってたまるか。
よくよく考えてみて欲しい。
それは、本当に必要なものなのか。それは、本当に買わなければならないものなのか。観賞用だってなんだって、必要なら買えばいい。でも、本当に生きるために必要ではないのなら、持つ必要もないのかもしれない。
テレビの企画で汚部屋の掃除をし、同じような考えの元どんどん作業を進める、山田涼介くんの物の捨てっぷりは、気持ちが良かった。

私は、心細さに折れそうになることがある。そんな時は、本を読む。質素の中の美しさを知る人、貧困の中にある人たちのために戦う人の本を読む。間違ってないんだって再確認して、私は私のやるべきことに打ち込む。

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それでも雑誌のSDGs特集を見て、その内容にがっかりすることもある。SDGsって立派だけど、中身がなくちゃ意味がない。でもそれに意味を持たせたら、社会が成り立たない。成り立たない社会が悪い。それを変えたい。再構築するためには、まずは私たち消費者が、賢くなるべきだ。まずはそこからだ。そうして途上国の富を貪ることがなくなれば、きっと多くの人が、他のこともよくして行ける。

まず大切なことは、自分の生活を見つめ、ベストな生活に持っていくこと。その形は人それぞれだから、答えをもらうんじゃなく、探し出すことに意味がある。
ヒントがあるとしたら、本の中かもしれない。人生経験が豊富な人の言葉や、新しい経験からも見つけられるかもしれない。皆が自分の頭で考えて、行動したら、世の中がもっと変わる気がしている。
私たちが変えよう。きっと世界は変えられる。