その街は、穏やかな瀬戸内海に面していて、古今東西さまざまな人の行き交う豊かな場所だ。それなりに有名な観光地として世間に認知されているし、誰が訪れても口を揃えて良かったと言うだろう。

けれど、私にとっては「良かった」と一言で終わらせる事のできない、特別で、唯一無二の場所だった。

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高校2年の夏、その街を初めて訪れた。大学のオープンキャンパスという名目だったが、確かに惹かれるものがあった。今まで、人や物に惹かれる事はあったが、場所に惹かれるという初めての経験をした。

私はその後、あの街に住みたいという一心で浪人までして、例の大学を3回受験に失敗し、4回目でようやく合格通知を手にした。これが駄目なら諦めるつもりだったし、手応えは全くと言っていい程なかったので、ご縁を感じた。身を削った挫折経験は、無駄ではなかった。

その街で一人暮らす大学生活は、美しく尊いものだった。
白い船と緑の島が浮かぶ、コバルトブルーの海。大学まで続く、木漏れ日の眩しい山道の路線バス。迷路のような古い街並み。野良猫の歩く細い路地裏。夜になるとゆらりと現れるネオン街。出会いと別れが交わる駅。

どこを切り取っても絵画になり、素敵な物語になるような不思議な街だった。
そんな街で、朝まで語り明かせるような一生の友人に恵まれ、五感をフル活用しながら、芸術や勉学に励んだ。身を削った挫折経験は、大学4年間を1分1秒たりとも無駄にはできないと私を奮い立たせ、大変充実したものになった。家族を始め、友人や恩師など、周囲の支えがあったからだと、忘れてはならない。

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あっという間に卒業を迎え、私は地元の田舎に戻って就職した。
初めの1、2ヶ月は良かった。だが、3ヶ月経った頃から、心にぽっかり穴が空いたような、物足りない寂しさでいっぱいになった。
あの街が忘れられなかった。

私を癒してくれた美しい海も、インスピレーションの宝庫だった街並みも、優しさと温かさで溢れた街の人も、刺激的で高めあえる友人も、もうどこにもいなくて、それに代わるものすらなかった。
色々もがいてみたけれど、結局、男の人に騙されたり、体調を崩してしまったり、ダサくて未熟な自分に振り回されて散々だった。

職場のお盆休みは6連休だった。私は、3泊4日で一人あの街に行った。行きの混雑した新幹線は、わくわくした気持ちで溢れていた。懐かしさに浸りながら、楽しかった日々を思い出しながら、大学時代に戻れるものだと期待していた。

だが、久しぶりに訪れたその街は、懐かしくも輝かしくもなくて、私は拍子抜けした。
観光客が駅へ向かう夕刻、少し歩いて、駅裏の夜カフェに入った。貸切状態の2階カウンター席から、電車を待つ観光客の姿を見ていた。

乗り越えなければならない壁がたくさんあった大学時代。
ホームシック、遠距離恋愛、西日本豪雨、コロナ、就活、予測できない未来、人間関係、自己との対峙。

当時感じていた不安、孤独、寂しさ、悔しさ、焦りが蘇ってくる。
大学生の私は、それを掻き消そうと、埋めようと、押さえ込もうと、必死に動いていた。なるべく明るく楽しく前向きにいようと、涙をこらえて強がっていた。
あの頃、こんな風に生きていた事を、すっかり忘れていた。

観光客が乗った山吹色の電車を見送りながら、私は、大学生の私と再会する。
未熟ながらも、強くあろうとしていた大学生の私は、とてもたくましかった。

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気が付くと2時間以上経っていた。
店を出る時、店主さんが「ゆっくり過ごされたみたいで。良かったです」と声をかけてくれた。優しくて温かいその言葉が、じんわり身体に染みていく。
私は、オレンジ色の街灯に照らされた夜道を、宿に向かってゆっくり歩いた。

3泊4日をその街で穏やかに過ごし、大学生の私と別れを告げた。
辛くなったり、逃げ出したくなったら、またここに帰ってこればいい。

その街は、いつでもどんな時でもどんな自分でも、優しく温かく迎え入れてくれる。とびきり心が踊るようなキラキラした場所ではない。何も変わらずそこにある、私の大切で特別な故郷になっていた。

その街のおかげで、明日から始まる仕事も、今から続く生活も、前向きに考える事ができる。
帰りの新幹線の中、私は優しくて温かい夢を見た。
忘れられない街で、忘れられない日々を過ごしていた。