生まれてから25年間、関東から出たことがありませんでした。
ずっと同じような価値観、同じような感覚、同じ言葉使いの人たちの中で生活してきたので、自分の生活スタイルや価値観こそが「普通」なのだと思い込んでいました。
そんな25歳のある日、転勤を言い渡され、それからあっという間に東海地方、九州へと転々とすることになりました。

最初はバスの乗り方、道の歩き方すらわからなくなるほど繊細に、関東との違いを感じ取ってしまい、「全部普通と違う」と怯えていたのを覚えています。
普通ではないルール、普通ではない景色、普通ではない雰囲気。普通だった毎日が恋しくて仕方ありませんでした。

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それから3年経って、関東に帰ってきた時に思ったことは、「そもそも普通なんて無かった」ということです。
ただ、井の中の蛙が大海に出てみたところ、自分がいた世界がなんてちっぽけで、そのローカルルールを世界の共通だと勘違いしていたかを思い知らされたってだけでした。
そもそも関東には関東独自のルールだったりマナーだったりが、多すぎるくらい存在することに気がついたのです。
そして、それが別に普通でもなんでもないし、それが関東の人達が生み出した文化なだけ、関東特有のものってだけです。
久しぶりに出会った関東は、だいぶ個性的で、普通なんてなかったでしょ、と言わんばかりの個性を放っていました。

普通なんてないってことに気づいたら、見慣れたはずの風景からも、一切興味なんて無かった他人の頭の中からも、学べることや気付かされることがいっぱいあるんじゃないかって、思うようになりました。
この毎日は宝の山なんじゃないかって。今までは、皆同じ「普通」の価値観や生活の中で自分と同じように生きているもんだと思っていたけど、実は違うんじゃないか。
今思えば当たり前なんだけど、誰一人として同じ考えの人はいないんだ、私が学んだり、気づいたりすることの種がたくさん散らばっているんだ、ということに気がついたんです。

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もっと人に会いに行こう、と思いました。もっと色んな人を見よう、もっと色んな人の話を聞こう、もっと色んな人の思想に触れようと思いました。
もっと「違うということ」を楽しみたいという欲求を叶えるために、私は街に出ることを楽しむ習慣を身につけました。
関東を離れなかったら、そんな風にはきっと、思わなかったと思います。
なぜなら、勝手に作り上げた「普通」という概念に全部をぶっ込んで、見ないようにしていたから。
街を歩いていても何も目に入っていなくて、すれ違う人の顔すら見ない、ずっと考え事をしてるだけで、他人には興味が一切ない、それが私でした。
でも、今なら顔を上げて街中を歩きたいのです。
なるべくたくさんのものを見て、色んなことを感じたい。
色んな人に会って、色んな話を聞きたいのです。
久しぶりに出会った故郷の街が、私に「もっと前を見て歩いてごらん」と教えてくれたような気がしています。
他の街に出て行ってよかった。
そして、またこの街に戻ってきてよかったと、しみじみと思うものです。