部長というものは、思ったより楽しくなかったし、かっこよくなかった。というか、本当はなりたくもなかった。

高校生の頃、吹奏楽部の部長になった。別に立候補したわけではない。引退する先輩たちが勝手に決めただけである。大人しくて真面目で成績がそこそこ良い。それだけの要素で選ばれたのではないかと今でも思っている。
大人しいのは冷静だからではなく、喋るのが苦手なだけだし、真面目なのは怒られるのが怖いから弾けられないだけで、成績がそこそこ良くても頭の回転は抜群に遅い。そこまでは彼らも見抜けなかったようだ。
それに、私のような人間を部長とかいうトップの役職に就かせてはいけない最大の理由は、やる気がないことである。コンクールでの勝ち負けとか、本当にどうでも良かった。むしろ早く負けて引退して受験勉強に専念したいと思っていた。

部長はあなたです、と言われても後輩風情に拒否権はない。顧問が事前に、皆に向かって「せっかく先輩方に認められたのだから有難く引き受けなさい」と言っていた。今考えれば、なんという暴挙だろうか。ということで仕方なく、私は部長として職務を全うしようと決意した。仕方なくだ。

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しかし、部長としての生活が始まって三日だかそこらへんで、私は「部長 退部」は許されるのかどうかGoogleに聞いていた。彼から得られた結果としては、「お前次第だよ」というようなことだけだったと思う。結局私は引退まで続けたのだからそういうことだ。

まず、私のように勝ちにこだわらず面倒くさがりな人間は、他人に注意が出来ない。それに私が自意識過剰で優柔不断なのも原因だと思う。他人がどうしていようとどうでもいいし、気になったとしても怖くて注意が出来ないからである。ということで、自分の演奏技術さえ上達すればそれでいいと思い続けた人間なのだ(まあ、だとしたらなぜ吹奏楽をやろうと思ったのか謎なのだが……)。

練習をサボってこっそりスマホをいじっている後輩を見ても、「ああ、スマホを見ているなあ」と事実を確認して終わり。面倒なのでそのままにしていたら、同期から指摘される。
「あの子、スマホやっているんだけど。注意してよ」
したいならお前がしろよと思いつつも、私は彼の方へ向かい、締まらないニタニタした顔でごにょごにょと注意する。
「ねえ……、今、練習する時間だから……」
傍から見ればなんとも貧弱な注意であるけれども、注意された当人からしてみれば「部長から注意された」という出来事は確実に起こっているわけなので、それだけで委縮する。有難いんだか有難くないのだかよくわからない。

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何度も言うが、私は勝ちにこだわっていなかった。全国大会なんかもちろん、県大会すら考えられない。予選敗退どんとこいという感じだった。それよりもなによりも受験勉強がしたかったのだ。
ただ、部活というものは面倒くさいもので、「一致団結!」「絶対優勝!」とかいうスローガンを掲げない奴は人権すら与えられていないのではないかと思うような組織なのだ。私は究極の「楽しめればいい派」の人間だったので、「何が何でも勝つ派」を目の敵にしていた。

けれど、部長なのでそんなこと言ってられない。みんなが勝ちたいというので私は必死こいて練習した。部長だから。誰よりも真面目に練習して、みんなのお手本にならなくてはいけないと信じていた。
本人たちが気づいているのか知らないけれども、勝ちたい派のほとんどは口だけなのだ。まあ、人間ってそんなもんなのかもしれない。壮大な目標を語るだけ語って、大した練習もしなかった。優勝したいのに練習に遅刻する彼女たち。負けたいのに一番遅くまで練習する私。
私はどうすればよかったのだろうか。彼女たちに注意すればよかったのだろうか。でも、何のために?誰のために?
結局、神様は私に味方した。我々は予選であっけなく負けた。

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時は過ぎ、送別会。第一志望になんとか合格した私は、すっきりとした顔で音楽室を眺めた。部員一人一人がお礼の気持ちや、寂しい気持ち、嬉しい気持ちを述べていく。もれなく全員、目はびしょびしょに濡れていた。
私は部長としてトリを飾った。みんな、部長の感動的なスピーチを望んだだろうか。ただ、私の口から出てきたのは感謝の気持ち一言だけで、涙を一筋も流さなかった。


本当は、泣きたかった。あんなにだめだめな部長でも引退までやってこられたのは、みんなのおかげだということは確実だった。
みんなのおかげというのは、私をいじめなかったこと。そのくらいのレベルでだめな部長だったのである。だから、そこには感謝しなくちゃいけないと本気で思っていた。
けれど、だからといって泣いて感謝したら、私の苦しみが全て涙と一緒に流れて行ってしまうような気がした。だから泣けなかった。泣いたら、過去の私の味方がいなくなると思った。

私はあの瞬間を、どう過ごせばよかったのか今でもわからない。ただ、あの時涙を流さなかったから、私は私の味方であり続けることができている。
あの時、涙と一緒に苦しみも流してしまえば、嫌な思い出は消えたのかもしれない。けど、それはいいことなのか悪いことなのか、誰にも聞けないし、これからもきっと聞かないと思う。