親友とは、ほぼ会話がなかった。でも、大体お互いのことはわかった。
喋らなくたって、どう思っているか、何を思っているか、何を知っているか、大体わかるから親友なのだと言えるのかもしれない。言葉も大切だけど、言葉がなくても分かり合えるというのも、大切だ。
ただ、親友だということだけは、言葉で確認した。私たちの仲でさえ、言葉を使うべきところはある。

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言葉がなくても分かり合えるのに、大切なことは、多分、自分をよく理解していることと、自分をよく見せようとしないことだ。
自分はこの程度だということを理解していること。これは、何かで全力を出さなきゃわからないから、今時は難しいかもしれない。本気でやって、転けたら痛い。それをわかって、全力なんて出さない人が多いからだ。全速力で走ってみなよ、楽しいから、と私は思うけど、いやがるばかり。若いうちにそれをしておかないと、受け身の取り方もわからなくなる。受け身くらいは知っていても、もういいやと出し惜しみする人もいる。気持ちはわかるけど、あんまりやらないと、受け身も下手になるよ。
そして、そもそも自分をよく見せようとする必要のない人と以外、深い関係を築いてこなかったし、よく見せようとする時点で、そんなものは成立しないと、私は思っている。周りの皆はもう中身しか見てくれないから、着飾っても目もくれない。むしろ浮いてしまって、やりにくい。でも、皆のそういうところが好きだから、そういう服はほとんど全部、しまいこんでしまった。私はそこまでファッションに興味がないから、好きでもないことに力を入れることが、無意味に思えた。

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「ペンは剣よりも強し」と言うし、本当にその通りだと思うから、ここにいる。私はペンも使いこなせてはいないけれど、何もしないよりはましなはずだと思って、ペンでできることを考えている。それに、きっと編集部の方で、うまくまとめてくれる。だからまぁ多少拙くても、なんとかなるはずだと思っている。ペンってつまり、言葉だから、言葉は強い。その力を使える場があるのなら、使わない手はない。

こんな時代だ。皆生きづらそうだと思う。中学生くらいの子供にも、詰め込まれることが多すぎる。もっと遊んだ方がいいんじゃないかと、こっちが心配になるくらい、学校の評価や、周りの目が厳しい。大人だって、厳しい目にさらされている。生きにくいに決まっている。自分に対しても、他人に対しても、評価が厳しすぎるからだ。どこで見たかは忘れたが「お金があれば幸せになれると思い込んで、いい大学、いい会社を目指してきた」と語る人がいた。結局その人は、その考えを手放して、幸せになったらしい。そんなもので測れるほど、幸せは軽いものじゃないようだ。
そんな中、言葉もどんどん軽くなっている気がする。先日見たテレビでは「最近の若者は、すぐ好きだよとか言う」というようなことを、ベテラン芸人が言っていたし、愛とか絆とかって言葉が、簡単に出てくる。そんな軽い言葉だったっけ?と思ってしまう。
皆、本当の愛とか絆を知らないんだろうな。知っていたらとても、口に出せない気がしている。

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親友とは、ほとんど会っていない。たまにこちらに来る時に連絡があって、都合がつけば会う程度だ。連絡も取り合わない。あっちはあっちで頑張っている。そのことが励みになる。でもまぁ、たまには会いたい、かもしれない。
だいたい親友から聞かれるのは、とりとめもない語りか、耳の痛い言葉だ。後者については、言ってくれる人は有難い。それが刺さるけど棘にはならなくて、確実に次の一歩へつながるのは、私のことをよくわかって、傷つけるために言っているんじゃない言葉だからだ。
私の価値判断の基準もまた、親友だ。同じ立場だったら、彼ならどう判断するだろうと考えて、行動する。私は自分で判断することが苦手だから、基準が欲しいし、彼を基準にしたら、大体間違えない。それに彼が基準なら、これで間違えてもまぁ、仕方ないだろうになる。あとは私の意思が嫌がらなければ、頭の中の彼が言う通りに動く。嫌がったらまぁ、他の人とも相談してみようか。

養老孟司さんが著書の中で、「人生は崖登り」と言っていた。一歩踏み外せば、真っ逆さまに落ちる。それが怖いから、人は考えることを放棄したい。そうすれば、落ちていることを意識せずに済む。私はそう解釈した。
私は自分の頭で考えて進むから、落っこちたくなくて、ペグを打っておく。思えばそれは、大体彼の言葉だけど、私の命綱を支えるという役割のみを担っていて、それ以上でも以下でもない。まぁ、守られてる感じはするかなという、そんなもんです。
男女の友情なんて、成立しないのでは?という心配は無用です。私たちはお互い、相手を異性として考えた時は、全く興味を持てないので、そちらには発展し得ないのです。それにもし、異性としての彼が、私にとっても魅力的だったとして、恋人と友人は両立させたくないので、こんな素敵な友人を失ってまで、恋愛をしたいとは思えません。

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これほどまで、私の中に染み込んでいる他人が、他にいるわけもなくて、彼は間違いなく親友だと言える。でもペグの中には、恩師とか、師匠とか、先輩の言葉もあって、本で読んだ言葉に、励まされることもある。いろんな人で、私はできているらしい。
じゃあ彼氏は?と聞かれたら、私は、命綱そのものだと答える。そして、崖を登るパートナーでもある。皆のおかげで、崖登りの不安は軽減できるけど、きっと、苦楽はともにしない。
とんでもない岩場の、登りにくい崖を選んでしまったが、多分昔は、こんな崖ばっかりだった。ここらでもう一本、ペグを打ち込んでおこう。
「くじらちゃんなら、できるでしょ」
親友の言葉だ。