楽しくピアノを弾くためにここにいる。そう思うと、涙は出なくなった

桜が舞い散る春の季節。
周りには色とりどりのランドセルを背負った子供たち。
当時は小学1年生。
両親と買いに行った、一際目立つピンクのランドセルを身につけて登校していた。
新学期。
小学校は皆が大人になるまでにどのように生活を送るか育む、1つの過程であり縮図であると言える。
きっと皆が悩むであろう。
どんな習い事をしようか。
どんなお友達を作ろうか。
どんな授業を受けるのか。
私は全く心配もなく、小学生になってしまった。
今思えば、もっと習い事をしておけば……。勉強を真面目にしていれば……。
小学生の時ですらそのように思う。
私には趣味があった。
小学生デビューを果たした私に、祖母がプレゼントをくれたのだった。
私が選んだ、小さなアップライトピアノ。
祖母は喜んでピアノを買ってくれた。
小学生まで健やかに育ってくれてありがとう。
私にとって、そういう気持ちのこもったモノは一生の宝である。
硬筆、習字、生け花、バレエ、ピアノ、水泳。
小学生の頃に体験したものは数え切れなかった。
だが、格段に時間を費やしたのはきっとピアノだろう。
祖母が買ってくれたものということもあり、毎日指の練習をした。
慣れるまでは両手で弾くことはできなかった。
時が経つこと高校2年生。
私はまだ家にあるピアノを触っていた。
習い事自体は大学受験の関係で辞め、数年が経過していた。
なぜピアノをまだ触る機会があったのか。
私の高校では、中高合同の合唱があった。
中学2年生から伴奏オーディションに応募し、高校2年生まで選出された。
独学でやっていた部分もあり、上手くいかないことも多かった。
だが音楽の先生が熱心に教えてくれ、教わることがとても多かったのだ。
同時にクラスメイトの不満も多かった。
合唱が苦手である。拘束時間が長い。なぜ歌を練習しなければいけないのか。
その気持ちは大いに理解できた。
私も歌が下手で苦手である。
しかし必死に練習している私にとっては不満もなかなか耐え難いものがあった。
日常の苦難と共に、受験という現実が迫っている。
成績を落とせば大学を落とされてしまう。
ピアノなんてやっている場合ではない。
心からそう思った。
私は伴奏という1つの職務を怠慢し、全学年合同の予行練習では酷い結果が生まれてしまった。
指が動かない。楽譜が読めない。分からない。
皆がこちらを見ている。
笑われた。
私は失敗した。
重大なミスを犯してしまった。
ああ、わたしは責められるのだ。
無様な様子に恥ずかしさと情けなさで涙が出そうになった。
その時、私は祖母のことを思い出した。
「楽しく、健やかに育ってくれてありがとう」
祖母は、私がこんな気持ちになるためにピアノをプレゼントしたのだろうか?
答えは否。
私に楽しくピアノを弾いて欲しいに決まっている。
私は今までピアノの発表会やコンクール、全て気を張りすぎていたのかもしれない。
そう思った瞬間、涙も出なくなった。
楽しく自分なりにピアノを弾くために私はここにいる。
次の日、さらに次の日と練習をした。
悔しい、やるせない、そんな気持ちも沢山ぶつけるために。
1日の大半を練習に使い、やっと前日に完成した。
もちろん自分の中では全く納得がいかなかった。
でも、その成長した姿に先輩が拍手してくれたことを今でも覚えている。
その拍手とともに来年こそ完膚なきまでにオーディションに受かろうと決意した。
楽しく、加えて自分の自信になるように。
結果、全て中高で受けた伴奏のオーディションは受かった。
高校2年生の時の悔しい思い出も翌年に挽回することが出来た。
最後の伴奏が終わるまで、涙はとっておこうと決めていたのだ。
しかし、最後の伴奏が終わったあとでも涙は出なかった。
高校3年生では自分が合唱を管轄する立場だった。
その上で3曲を伴奏した。
どれも本格的なクラシックで、独学は厳しい。
そんな中、自分なりに楽しく後悔しないように練習を重ねていた。
楽譜に書かれる文字、音楽の先生の感想。
賛否両論があれど、どれも素敵な思い出だった。
けれども、
「毎回表現の仕方に変化があり、楽しいです。きっとピアノを弾くのが好きなんですね」
何故かこの意見には涙が出たのだった。
縛られない弾き方や表現の自由は、きっと祖母がピアノを買ってくれた時に出来たのだろう。
楽しく自分らしく生きなさいと。
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