私にとっての忘れられない街といえば、中国の西安だ。

20歳の頃、中国語を学ぶため4ヶ月ほど中国の上海に留学していた。
中国では東南部に位置する上海と、北側にある北京や西安には大きな文化の違いがある。大学側の粋なはからいで(もちろん費用は自分で負担したのだが)、「中国の北の方を見に行く旅行」が企画され、クラスの日本人15人ほどで1週間ほどかけて観光に出かけた。その一箇所目が、西安だった。

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上海から西安には寝台列車で向かった。震度5を経験したことのある私だが、「人生で一番揺れた場所は?」と聞かれたら、間違いなくあの寝台列車だと答えるだろう。
ほとんど眠れないまま、朝7時、西安駅に到着した。10月末の西安では既に暖房を使い始めており、光化学スモッグが空を覆っていたので、太陽ははっきりとは見えなかった。

チェーン店で朝食をとり、向かったのはかの有名な兵馬俑。兵馬俑の次は唐代に建築された華清池、そして『西遊記』で有名な三蔵法師が旅をはじめた地点と言われる大雁塔へ。西安の観光名所という観光名所を廻り、ミーハーな観光客として寝不足の身体に鞭打って西安を満喫したのだった。

そんな慌しくも楽しい1日を過ごし、夕方になると、ガイドの李さんがバスで「西安城市」に向かう、とアナウンスした。私たちが観光したのも西安ではあるものの、西安には城壁で囲まれた「城市」があり、本来はそここそが「西安」なのだという。
城壁で囲まれた街。フィクションでは見たことがあるが、自分で足を踏み入れるのは初めてだった。だから李さんが「はい、西安につきましたよ」と言った時も、城壁のあまりの大きさに、はじめはそれが「壁」だとはわからなかった。

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分厚く大きな「壁」を潜ると、中は普通の街だった。といっても、観光名所として景観には気を遣っているそうで、先が反り返った屋根のいかにも「中国らしい」建物が多く、そこは大都市上海とは異なっていた。
街の端がどこにあるのかはわからないが、「壁」が四方を囲んでいるという。スケールが大きすぎて、「うわあ中国に来てるんだなあ」と感慨深い。
街の中のホテルに荷物を置き、西安市街に向かう。西安は夜も賑やかで、出店が並んだ通りには観光客らしい人も大勢いた。大通りを挟んで両側に、食べ物やお土産のいろいろなお店が並んでいる。

まず立ち寄ったのはザクロジュースの出店だ。山のように積まれたザクロを絞り機に次々と放り入れ、適当に絞って袋に注いでもらう。なぜ液体を袋に入れるんだ、と思ったが、日本では考えられない売り方にワクワクが止まらない。無愛想なおばちゃんから受け取ったザクロジュースは全くの無添加、冷やしてもいないただの果汁で、栄養価が高そうな分めちゃくちゃ渋かった。

他にも金木犀ケーキという謎の甘い香りを放つもち米のかたまりやサソリの串焼きなど、見たことのない出店から次々と客引きの声がかかる。正体不明のスパイスの香辛料の香りと、通り一帯にかけられた提灯型のライト(電飾の飾り付けに凝っていた)のおかげで、人生史上最高の「異国情緒」を味わうことができた。

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さらに奥へ進むと、客引きの声に混じって中国語ではない言葉が聞こえてくる。出店の通りをしばらく進むと、中国語よりもその不思議な言葉の割合が増えた。何語かは判然としないが、店員さんたちの服装から察するに、おそらくイスラム教の「回族」の人々だったのだと思う。

こちらが中国語で話しかけると、面倒臭そうに商売を始める。さっき元気に呼び込んでいたのに、なんで客が来るとやる気をなくすんだろうか。
店内は土産物が並んでいたが、いつ使うのか、何に使うのか全くわからないものばかりだった。店員さんどうしがおしゃべりで忙しそうだったので何も買わずに出てきてしまったが、今思えば何か買えばよかったなと少し後悔している。 

見るもの、食べるもの、出会う人。何もかも初めてづくしだったこの一晩で、「中国は多民族国家」という語学学校で何度となく漢族の先生たちが話してくれた言葉の意味が、少し体感できた気がした。

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西安には異なる民族の異なる文化が、遠慮も忖度もない絶妙なバランスで混ざり合っていた。中国には一番人数の多い漢族以外に55の民族がおり、それぞれの地域、それぞれの民族に、これまたそれぞれの歴史がある。古代の漢族の文化圏の西端である西安は、今でも回族などの西方の民族が多いのだろう。
私たち観光客も、外国人だからといって特におもてなしを受けることはなく、皆一様にただの「客」だった。古代から西方への旅のスタート地点として多様な人間が入り乱れた街だからこそ育まれた文化なのかもしれない。

帰国してから知ったが、このように文化が入り混じる地域を「クレオール」と呼ぶらしい。だから私は何かにつけて西安のことを思い出す。
新しいことを始める時、新しい場所に行く時。異なる価値観の人たちと出会い、新しい旅が始まるという意味では、日常生活の至る所にクレオールは潜んでいる。世界は多民族・多文化社会でしかないのだ。
西安旅行のようなワクワクに満ちた出会いを求めて、これからも旅を続けていきたい。