ここ最近の話ではないが、久しぶりに出会うことで、当時は気づかなかったこと・些細な思い出が甦ってくる。
それが過去の自分と向き合うきっかけだと私は思う。
アルバムなどで見る過去の自分ではなく、確かにそこで生活をしていた場所に行くことで、写真では感じなかった感情が溢れると思っている。
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幼少期。私は、父親の仕事上、転勤族だった。
地方に住んでいた時は、マンションなどではなく社宅で生活していた。
大人になって社宅に行くと、当時、同世代の子達を遊んでいた記憶が蘇って子供だった頃を懐かしんで、今とこれからを頑張ろうと奮い立たせてきたのだが、私が過ごした社宅は無くなってしまった。
3ヶ所の社宅で生活していたが、3ヶ所とも無くなってしまった。
初めて無くなった社宅は、もう20年前なのに今でも覚えている。
残りの2ヶ所は、何度か旅行として訪れていて、何度目かの訪問で建物が無くなっていることに気がついた。
3ヶ所とも高級マンションや大きな家に変わっていた。
社宅を持たない企業が増えてきたかもしれないが、久しぶりに行って思い出を噛み締めていた。
冒頭に記したように、私は幼少期は転々と過ごしていたため、故郷というのがない。
複数に住んでいたことが、私しかない経験だと誇らしく思っていたため、建物がないことが、今まで住んでいた証が無くなってしまったようで喪失感を感じた。
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それを母親に話したら、「ママだってもう故郷なんてないもんだし、そんなものよ〜」と返されてしまった。
母親の言い分もわかる。
だけどね……ママ。
違うんだよ。建物があるかないかで、自分が成長したことが実感できるし、いろんなことあったな〜と思わない?
社宅の外観あんな感じだったけ?あそこでよく縄跳びしていたよね!って家族で話したくならない?
私が今住んでいた場所があるのは実家だけ。
だから、今の実家は残しておいてね?
……と伝えようとしたが、やめた。
だって、久しぶりに出逢ってたから、その都度自分が抱えている感情や思考をリセットできていただけだなと我に返ったし、この感情は自分だけしかわからないから、他の人に伝えても思うことは違うからだ。
それに、頻繁に出逢ったり、仮に建物があっていたとしても私は思い出を懐古していなかったと思う。
建物はなくなっても、たとえ街が再開発しても面影は残っている場所は多々ある。
ありきたりな言葉かもしれないが、形は無くなっても、自分が感じることがあるだけでも大事だと思っている。
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少しずつ30代に近づいてきているからこそ、自分のこと、親のこと、友人のこと、過去楽しかったことを振り返ってしまう。
人にまた会うことも大事だけど、私は場所も大切だと思う。
あの時に気づかなかった、親のありがたみ・友人とふざけ合っていた思い出を感じ直すと思ったからだ。
当時は自分の感情を理解していなかったけど、向き合っている今の自分なら納得する。
「あの時はこう思っていたけど、本当は違う気持ちでいて、だからあんな行動してしまっただよな〜」
もう一度自分と向き合いたいと思うから旅をするように生きているのだと思う。
仮に、当時の面影が無くなっても、確かにそこで過ごした「場所」は永遠に変わらないと私は思う。