ヴッ。バッグの中でスマホが小さく震える。
3歳年上の姉からのLINEが届く。
「今日の金曜ロードショー、トトロだって!」
外出中だった私はちらりと時間を確認する。7時55分。9時開始の金曜ロードショーに間に合わねば、と足取りは自然と速くなる。
トトロかあ、ちゃんと見るのは何年ぶりだろう。

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1988年に公開されたスタジオジブリの「となりのトトロ」。その存在やストーリーはもはや説明不要だろう。
お笑いコンビかまいたちの、とある漫才で、ボケの山内さんは「自分ひとつ自慢があんねや」と切り出す。その自慢の内容とは「今までトトロを見たことがない」というものだった。このネタが「日本人ならトトロを絶対に見たことがあるはず」という前提になるほど、この映画は私たち日本人が、幼児期に通るべき通過儀礼となっている。

あるいはジブリ党である私は、こうも考える。私たちの世代はゆとり世代やデジタルネイティブと呼ばれているが、生まれたころからジブリ作品がある、ジブリネイティブ。もっと言うと、トトロを見て育ったトトロネイティブでもあるのだと。
トトロを見て育った、でも実際にはあのような田園風景を味わったことがない世代。生まれたころからトトロが「ある」私たちは、同時にトトロが住んでいたような自然の原風景をリアルに体感したことが「ない」世代なのだ。
事実、今年2022年11月にはジブリのテーマパークが名古屋に開園する。そこでは、サツキとメイのあのおうちも「再現」されるという。私たちの世代にとって、トトロで描かれる景色は、「夢」の国のテーマパークディズニーランドと同じように、お金をかけて人為的に作られたそれを、またお金を出して体験する「夢」そのものなのである。

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トトロネイティブで、子どもの頃繰り返しビデオテープ(なんて懐かしい響き……)を擦り切れるくらい見ていた私たち姉妹とって、トトロの劇中のセリフは日常の頻出単語だ。
トイレに急に行きたくなって駆け込むときは「お便所!」。台風で風が強く引き付けてくる日は、「〇〇、このおうちボロだからつぶれちゃよ」と言う(言われた方は、胸をドラミングさせる)。木で覆われた道を通るときは「木のトンネル!」と声をあげ、花束などを頂くと「〇〇、お花屋さんね」とメイの真似をする。

こんな風にトトロは私にとって日常の一部だったので、いくら久しぶりに見ると言えど、おさらいのようにさらっと流す感じになるのかな、そう思っていた。しかし、そうではなかった。
上映時間1時間28分、私はまんじりともせずトトロの世界にのめりこんだ。そして、涙すら流した。
待って、トトロって泣ける映画だったっけ。

私が涙を流したのは、サツキが初めて泣いたシーンだった。
お父さん草壁タツオは、考古学者で子どもに大変優しい父親だ。しかし、娘のお弁当を作ることを忘れていたり、勉強に没頭するあまり娘の面倒を見忘れていたり、すこし抜けているところがある。
お母さんはこれまた優しくおちゃめな人だが、身体が弱く入院していて不在である。
妹メイはまだ4歳で、天真爛漫で好奇心旺盛、でも甘えん坊でわがまま、まだまだ幼い。
そんな家族に挟まれた姉サツキは12歳であるが、妹の面倒をみるばかりでなく、お父さんのフォローもするしっかり者で優等生なのである。

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そんなしっかり者で年齢にふさわしくないほど大人びているサツキが、涙を流す。お母さんの体調が悪化したことに、不安を覚え、「お母さん死んじゃったらどうしよう……!」と声を上げて泣くのだった。
張りつめていた緊張が解けるかのように。大人びたサツキが、本当はこんなにも無理をしていたんだ。本当はいつもどこか不安で、でも自分はお姉ちゃんで妹の手前しっかりしていなければいけない、と背伸びしていたんだな……。
それまでは、「しっかり者のサツキ」を妹として自分のお姉ちゃんに重ね合わせてみていたが、久しぶりに見た今回では、「無理している12歳の少女」としてサツキを見た。そうしていたら自分まで泣いてしまった。

そういえば、このシーンを見た我が姉が、「あそこでサツキが泣いて子どもに戻れたから、サツキは救われたんだよ」と言っていたのを思い出す。
我が家は父母姉私弟の5人構成だが、私と弟は6歳離れているため、私はわがままな末っ子である時間が長かった。なので、家族全員トトロを見ると、サツキとメイに幼い頃の姉と私をオーバーラップさせる。
まさにサツキとメイのように、私たちも真面目でしっかり者、優等生な姉と、わがままで天真爛漫、大好きなお姉ちゃんの後について回り、なんでも真似したがる妹だった。

姉は小学生の頃、学校では勉強も運動も見事にこなす優等生、家に帰れば共働きの父母を助けるべく、ご飯炊きやお風呂掃除、茶碗洗いなどを率先してやり、宿題をする傍ら、妹である私の面倒を見てまだ幼い弟のオムツを替える、あっぱれなサツキぶりだった。

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「あそこでサツキが泣いて子どもに戻れたから、サツキは救われたんだよ」という言葉に思いを馳せる。
しっかり者だった昔が嘘のように、今の姉の周りに流れる空気は、柔らかく温かくのんびりしていて、ところどころ緩くて抜けている。姉もサツキのように、泣かなくてはいけないときに、子どもが子どもらしくいなければいけないときに、ちゃんと泣けたのだろうか。その涙によって肩の荷が下り救われるような涙を流すことがあったのだろうか。
願わくば、その涙のときに、隣にいてくれる人がいたらいいな。サツキの隣におばあちゃんがいたように。しっかり者の姉に、いつも助けられ、いつも隣にいてもらった、お姉ちゃんっ子の妹メイとしては気になるところなのだ。

鑑賞後、ふと気になり、お父さん草壁タツオの年齢を調べてみる。ヒットした!
一説によると、身長180㎝(マジか!)、32歳とある(マジか!!学生結婚かよ、タツオ、マジか!)。いつの間にか私の年齢は、メイよりお父さんの方に近くなっていた。トトロを見て泣いたのも初めてだが、恐怖を感じたのも初めてだった。
さらに気になり、お母さんの年齢を調べると……29歳!一個上……。今度は絶句。
こういう感情を含めて、いやあトトロって良い映画ですね。