小・中学校の同級生と集まると、誰かがどこかのタイミングで「あの子」の名前を口にする。
「あの子、今どうしてんだろうね……」
毎回ではないし、「あの子」に限った話ではない。小・中学校の同級生で、SNSのアカウントを知らない、同窓会のLINEグループにも入っていない何人かの名前が挙げられて、大した発展もせず次の話題へと移っていく。

ただ、「あの子」の話題になる時、複数の視線は私へと注がれる。
「ほんとに知らないの〜?気持ち悪いほど仲良かったのに」
「気持ち悪いって何〜っ。知らんって」
と、軽くツッコミはするが、みんなが言うように私達は本当に気持ち悪いほど仲が良かったと思う。なのに、私は「あの子」の行方を知らない。

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「あの子」と私は小学校1年生の頃から仲が良かった。私と「あの子」はいつもセットで、他の友達と遊ぶときも必ず「あの子」がいた。
2人ともあまり社交的な性格ではなかったし、6年間同じクラスだったこともあって、お互いに「べったり」だった。

「大人になったら一緒に暮らそうね」と言う「あの子」に私は何と返したらいいのか唯一戸惑っていたが、それ以外、私は彼女といることに対して少しの拒絶も無かった。
小学校を卒業し、2人ともそのまま近くの公立中学校に通った。そこで初めて私は「あの子」とクラスが離れた。

その中学校へは3つの学区から生徒が集まる。元々、同じ小学校にも友達がほとんどいない私は、4月の「同じ小学校出身の子たちでとりあえずかたまる」という段階で、既にクラスで一人ぼっちになった。今まで新しい友達を作る必要性が無かった私が、初めて友達を作らなければと焦り始めた。すぐに同じく一人ぼっちだった転校生(入学のタイミングで引越したので転校生紹介も無かったらしい)を見つけ、仲良くなった。

5月、6月と月日が経過するうちに、出身小学校でのグループが次第に解け、私も5人くらいの友達グループで休憩時間を過ごしたり、休日に遊んだりするようになった。
「あの子」もクラスに仲の良い女の子ができたみたいだった。変わらず休日に彼女とも遊んでいたし、毎日、私と「あの子」と共通の友達の3人で通学していた。

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ある日の下校途中、「あの子」とその友達が喧嘩をした。
これはよくあることだった。「あの子」は機嫌が悪い時、その友達によく八つ当たりをしては小さな喧嘩になり、1週間以内には仲直りをする。その日も友達に「脚が太い」と急に言い出したことから喧嘩が始まり、いつも通り私が仲裁に入った。
この仲裁では、私は中立の立場にいてはいけない。喧嘩のきっかけが何であれ、少し「あの子」側につかないと彼女が余計機嫌を悪くするのだ。
しかし、私はその日「あの子」側につかなかった。

クラスが離れ、「あの子」不在の交友関係ができたからかもしれない。
少し前に、「私と同じ高校を受験してね」と言われて、「私はもう少し学力が高い高校に挑戦したい」と伝えたら彼女に怒られたことに不満を持っていたからかもしれない。
とにかく、私の中で何者かが「今しかない!」と叫ぶ声が聞こえた。
私と「あの子」は初めて大喧嘩をした。事の発端となった「あの子」と友達の喧嘩なんぞ、比べ物にならないくらいの大喧嘩。
発端の喧嘩はいつも通り1週間以内で収束したようだが、私と「あの子」の喧嘩は終わらなかった。
というより、私が終わらせなかった。

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1週間くらいで、私と仲直りがしたいという内容の手紙が靴箱に入っていた。あの子からの謝罪の文章の下に、あの子の友達何人かからの「仲直りをしてあげて欲しい」という内容の文章も書かれていて、卑怯だと感じて嫌になった。
それに喧嘩のなかで、私達はもう修復が不可能なくらい、普段思っていたことを言い合い、お互いを罵った。
結局、数ヶ月後にはお互い謝罪をし、それを受け入れたが、以前の大親友だった頃の2人には戻らなかった。その後2人きりで話すことさえ無かった。

「この前さ、ショッピングモールのレトロな雑貨屋さんであの子見かけたよ。働いてた」
先日、小学校の数少ない友達の一人がそう言った。
「今度行ってみない?ちょっと話してみたい」と友達が続ける。
「いいね、行ってみようよ。LINEも交換したい!」
私は心から頷けた。

あの喧嘩から10年以上経って、私は「あの子」とまた友達になれたらいいなと思い始めている。もちろん、あちらが良ければ、だけど……。
あんなに「べったり」だった私達だ。あれから考え方も知識量も経験値も成長したが、どこか気が合うところがあるのではないか。考えるだけでわくわくする。
それに、時が経ち、私はもう「あの子」の何を罵り、何を罵られたか全く覚えていない。
きっとこのような忘却の作用が働くことで、時は数々の難問、難事件を解決に導いてきたのだろう。