小学校3年生の夏まで暮らしたあの街のことを、10年以上経った今でも忘れられていない。
私の保育園も小学校も、初めて行ったプールも公園もあの街にある。だから、小学校3年生までの思い出は、ほとんど全てあの街に詰まっていた。

住んでいた「この街」から引っ越し、「あの街」になった

あの街は、特急電車も急行電車も通過する。私が今住んでいる街は急行電車が停まるから、電車に乗ってもあの街に停まることはない。
車内のアナウンスが思い出の街を通過することを知らせてくれる訳でもないのに、大学に通学する途中、電車で通り過ぎるたびにあの街を眺めていた。同じ電車に乗っていた人たちからすると、それまでケータイをいじっていた人が急に景色を見始めるのが奇妙に見えていたかもしれない。
ただ、当時の私にはそんなものはどうでもよかった。そのくらいあの街が忘れられなかった。

電車の窓越しに眺めてしまうほど忘れられない街を去った理由は、引っ越しだった。
経験した人は少なからずいるだろうが、私の場合は両親が離婚した訳でも祖父母と暮らすようになった訳でもなかった。そのため、家庭環境は変わらなかったが、環境だけはガラッと変わった。

突然訪れた環境の変化に、小学生なりに抵抗しようと小学校から学童に向かう道中、あの街に住んでいたとき通っていた小学校の校歌を口ずさんでいた。誰に聞かせるのではなく、決まって1人でいるときに歌っていた。
私が住んでいたこの街を、あの街にしたくないという気持ちの表れだったのかもしれない。しかし、転校先の生活に馴染んでいくにつれて、この街だったはずの街が次第にあの街になった。

日常が詰まっていたのに、理由がなければ行けない存在に

あの街には、有名な遊園地も水族館もないから、降りたくても降りる理由がなかった。しかし、引っ越してから1度だけあの街の駅で降りたことがある。
あの日私は、あの街に行くために電車に乗った。あの街に一瞬でも帰りたいと思った。
私の住んでいる街からあの街は電車で片道約20分で、今考えるとそんなに遠くはないが、当時中学生だった私にとって20分間の乗車が伴う外出は、小旅行に行くような気分だった。

駅を降りてからは、ひたすら思い出の場所を巡った。地図アプリを開いていないのに、通っていた保育園や小学校、駅から徒歩15分ほどの前住んでいた家にも不思議とたどり着くことができた。
あの街を再び訪れたことで、より一層私にとって忘れられない街になった。それと同時に、引っ越してから少しだけ変わった街並みを見て、「私はもうこの街にはいらないのかもしれない」「この街に戻ることは一生ないだろう」と悲しい気持ちにもなった。

もう戻らないと思っていた私とあの街を繋ぐ存在

大学4年生のある日の夜、私が通っていた学童の先生とご飯に行った。その先生は転職先の人を私に紹介したいと言っていた。
私は彼氏もいなかったし、小学生の頃から私を知る先生が紹介したいという人が、どんな人か純粋に気になったので会ってみることにした。
私はその人の名前と年齢しか知らずにその人に会った。というのも、学童の先生にその人はどんな人なのか聞いても、数回しか会ったことがないから分からないと言われたからである。

じゃあ何で紹介したかったのか聞くと、「その人の直属の上司から話を聞いて、いいんじゃないかなあと思って」と言っていた。結局その人とその人の直属の上司、学童の先生、私の4人で食事をした。
そこでいろいろなことが明らかになったのだが、なんとその人は私の忘れられない街で1人暮らししているらしい。食事以来、私はその人と2人で会い、連絡を取り合ううちに付き合うことになった。

その人の家に行くことが日課になった今では、当たり前のように各駅停車に乗り換えてあの街の駅で降りている。そうした日々を繰り返すうちに、私にとってあの街が再びこの街になっていた。
もしかしたら、私は「この街にはもういらないのかもしれない」「戻ることは一生ない」と悲しんでいた中学生の頃の私に、この街が「そんなことないよ」と優しく語りかけてくれているのではないかという気持ちになった。