私はおそらくHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン、生まれつき感受性が強くて人一番敏感な気質のある人)だ。

時計のカチカチの音さえ気になり、足音や食器の重なる音でさえ不快に感じてしまう。些細なことでも気にしてしまい、落ち込んだり悲観的に考えてしまったりネガティブな思考に陥りやすい。仕事でも家庭の中でも、他の人が気にしないようなことをきっと気にしてしまっているんだと思う。

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自分でもわかっているので、気にしないように心がけているが、心に嘘はつけない。周りには悟られないように大丈夫なふりをすることが精一杯だった。

だからか羨ましかった。「幸せ」だと口にできる人が。
私は、楽しかった、嬉しかった、良かったなどと言える。実際にそういう出来事はたくさんあった。でも、それ以上に、悲しかった、辛かった、苦しかったが勝っていた。その結果、総合的に見て「幸せではない」と思っていた。だから「幸せ」と口にすることができなかった。

もちろん美味しいものを食べて幸せ、久々にカラオケに行けて幸せ、などの小さな幸せはあった。でもそれはその瞬間のみだ。終わってしまえば幸せも終わり。それからは現実に引き戻され、辛いことや悲しいことに向き合う時間が始まると思ってしまうことも多々あった。

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先日掃除をしていたら、10代後半の時に書いた一冊のノートを見つけた。
もう10年近く前のもので、字は読めないほど乱れていたり、とても小さく書いてあったり、行を無視して大きく書いてあったりと感情をぶつけたような痕跡がそこにはあった。
ノートの中身は全て、負の感情を抱いた時に書いたものだった。

私は一生幸せにはなれない。私は出来損ないなんだ。私はもうダメだ。死ぬ勇気もないのに生きることを諦めている。
そんな内容が何度も何度もくり返し書いてあった。

あれから10年。夢だった教員になったものの、身体を壊したり、納得いかなかったりで退職。非常勤講師として働くも、大変なことも多く、ひとり涙を流した時もあった。好きだった彼に暴言を吐かれて怒ったり悲しんだり振り回された時もあった。正直、10年前も今も、結局は辛いことや悲しいことに溢れている。
でも、あの時とは違う。

私は今、「幸せ」って思っている。

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状況が良くなったからとか、人生を変える新しい出会いや衝撃的な出来事があったからとかではない。むしろ社会人になり、仕事を始めたことにより悪くなったことだってある。でも私は今の自分が幸せだと思う。私自身が「幸せ」だと感じているのだ。

愛してくれる姉がいて、愛してくれる彼がいて、こっそり愛おしいと言ってくれる元彼がいて、私のことを大切に思ってくれる人がちゃんといるって自信を持って言える。しかも3人もいる。そんなの贅沢すぎるくらいだ。
「別に無理してがんばる必要はない。存在するだけでいい」なんて言われて、泣いてしまいそうになるくらい嬉しかった。

幸せ。私、今すっごく幸せ。10年経って考え方が変わったのかもしれない。10年経って周りの私を見る目が変わったのかもしれない。状況とかではなくて、もっと別の視点で見られるようになったのかもしれない。

時間が私の「幸せではない」感情を「幸せ」に導いてくれたのかもしれない。
でも、何より、愛されていることを心から実感できるようになったからなのかな。

だからね、辛くったって苦しくったって前を向いて進めるんだ。
愛してくれてありがとう。私もいっぱい、いーっぱい愛せる人になりたい。
幸せをおすそ分けできる人になりたい。