一時期、本が読めなくなっていました。小学生の頃から今に至るまで、趣味を問われれば必ず読書と返すくらいには本が好きです。けれども、仕事にコロナ、その他諸々のストレスが重なって、一時期本を読みたいと思えなくなっていました。
本を開いても、数分と経たずに閉じてしまうのです。そんな状態のまま、ときどき本屋を覗いてはいました。習性のようなものです。コロナ禍の営業時間短縮の中、本を手に取るのも憚られて、帰路の途中で通りすがる程度でしたが。

しかしその時、いつも見て回る文芸書の新刊棚に心惹かれるものを見つけられず、ふらりとふだんと違うエリアに足を踏みいれました。児童書のエリアです。そこで、本当に久しぶりに、「エルマーのぼうけん」と出会ったのです。

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「エルマーのぼうけん」は、有名な児童文学の傑作です。世代を越えて親しまれ、私の育った町の図書館にも小学校の学級文庫にもありました。
少年エルマーの冒険が綴られた、シリーズ全3作の物語です。初めて読んだ当時と変わらない装丁に心惹かれ、思わずレジへ持って行ってしまいました。
家に帰って本を開き、まず驚いたのは字の大きさです。子ども向けであるからして漢字が少なくひらがなばかりなことに加え、行間もしっかり取ってあることから、覚えていたより文章量が少なかったのです。

記憶の中にある「エルマーのぼうけん」は、もっと難しくて読むのが大変な本のイメージでした。けれどもそれはきっと、文より絵の方が多いような絵本を卒業したばかりの子どもの感想だったのでしょう。大人になって開いた「エルマーのぼうけん」は、ちょっと心許なくなるくらい軽やかに読めてしまう本でした。
一方で、本が読めなくなっていたのにページをめくる手が止まらないくらい、今になってもおもしろい本でした。当時のどきどきとわくわくを思い出せることを差し引いても。

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大人になって読む「エルマーのぼうけん」には、子どもの頃には気付かなかったことも色々ありました。
きっと子どもの頃は、エルマーに感情移入してエルマーになりきって読んでいたからでしょう。数遊びのようなところで自分も数えておもしろがり、挿し込まれた図を己が見つけた宝の地図のように眺めていました。今ではもう少し遠くから、あの出来事がこの場面に繋がるのかと驚いたり、児童文学らしいひょうきんさを愉快に思ったりしました。
また、子どもの頃は融通が利かなくて怖そうだと思っていたエルマーのお母さんも、こんなに怖いもの知らずで好奇心旺盛なエルマーを育てていたら不安にもなるだろう、とどこか親のような目線にすらなりました。

そうして本を読むことができなくなっていた私は、久しぶりに、すごく久しぶりに開いた「エルマーのぼうけん」を読むことができたのです。
もともと再読が多い性質ですし、一度読んだことがあるから読みやすかった、というわけでもないでしょう。ひらがなだらけで簡易な表現の児童書は、柔らかい文章ながらも久しく触れていない文体で、読みやすくはありませんでした。
しかし、それを上回るような懐かしい感動がありました。自分の体には根付いた、本好きの部分が息を吹き返したような感触がありました。

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それからは、また少しずつ本が読めるようになりました。特に、再読が。
「エルマーのぼうけん」はわたしの読書遍歴の中でもかなり初期の方です。そこから、小学生の頃毎日読んでいた本、中高生の頃はまり込んでいた本、大学生の頃読み耽った本、社会人になってから出会った本、と少しずつ。生まれてから今に至る、本が好きで、本がさらに好きになっていった道程を辿るようにして。そうして今では再読ではない新しい本も読めるようになりました。本が好きな私としての道がさらに伸びたわけです。

本が好きです。読書が好きです。それは私の根幹に関わることで、崩れそうになっていたそれを立て直してくれたのが「エルマーのぼうけん」でした。
再会できて、本当に良かったです。