それを開けるのは、ほぼ一年ぶりだった。
それがないとどうにかなってしまうというほどのものでもないし、ないならないで他にやりたいこともたくさんある。私がそれから遠ざかっていたのは――遠ざかるといっても同じ部屋の中にはずっと置いてあったのだが――、あるいは、一年前のある時期に、親の仇みたいに、毎日のように使っていたからかもしれない。

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この間、私は約一年ぶりに、アルトサックスのケースを開けた。

中学校で吹奏楽部に入って、念願のサックスパートに入ることができて、でも第一希望のアルトサックスにはなれなくて、テナーサックスになって。それでも練習していくうちに楽しくなって、もっと上手になりたいと、個人レッスンに通うようになった。
その時に、生まれた時からずっと、両親にとっておいてもらっていたお年玉を全部はたいて買ったのが、私のアルトサックスだった。

それ以来、たくさんの舞台に一緒に立ってきた。
数々のサックス教室の発表会はもちろん、NHKの吹奏楽の特別番組でNHKホールで演奏したこともあった。
海外に行く時もいつも一緒だった。高校生の時にカナダに留学した時は、サックスがあったから、現地の高校のブラスバンドに入部し、そこで友達を作ったり、町のクリスマスパレードで演奏したりした。
大学でアメリカに留学した時も、もちろん連れて行った。留学先の大学では個人レッスンをうけることができたので、毎週のレッスンと、学期に一度のリサイタル、それにここでも学校のブラスバンドに参加して、学校のホールで演奏した。
大学院に行くために再びアメリカに戻った時には、サマーコースの修了式でも演奏させてもらった。
アメリカから帰ってきて日本で働き始めた時は、恋のきっかけもくれた(そして失恋し、毎日思い詰めたように練習に明け暮れもした)。

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今年の春、私は転職に伴って、日本の最果ての、とある島に移住した。島での暮らしは心地よかったが、仕事以外になかなか知り合いができず、鬱々とした日々を送っていた。
そんなある日、島の情報誌の一角に、島の吹奏楽団の団員募集中の記述を見つけた。さっそく連絡を取り、楽器と共に見学に訪れた。

練習場所は、町民センターの体育館のような部屋だった。どきどきしながら自己紹介をして、久しぶりに楽器のケースを開いた。
私のサックスは、最後にしまった時のままの姿で(そりゃそうか)、お行儀よくケースの中におさまっていた。また飛行機に乗って、新しい場所に一緒に来たね、ずっと吹いてあげられていなくてごめんね、そんな気持ちで徐にケースから取り出す。
リードを口に含んで濡らし、楽器を組み立て、息を吹き込む。一年のブランクは大きく、顔をしかめたくなるような音だったが、自分の息が、楽器を通して音に変換されてゆく、懐かしい感覚がよみがえる。
さっそく合奏に加わると、とんとん拍子に入団が決まり、さらには数週間後の島の夏祭りでの演奏に出させてもらえることにもなった。

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数回の練習で必死に追いつき、迎えた本番当日。ついこの間来たばかりで、知り合いが一人もいなかった場所で、商店街に作られた特設ステージに立ち、仲間と呼べる人たちと音楽を奏でているというのはなんとも不思議な感覚だった。
自分の音と、仲間の音が重なり、ハーモニーがうまれる。胸の奥から、ふつふつと、言葉にならない喜びが、こみ上げる。

ああ、やっぱり音楽って、いいなあ。理屈抜きに、そう思った。

あっという間にアンコールまで吹き終わり、気がついた時には舞台袖にはけていた。撮ってもらった演奏の動画を見ると、島に来てから1番の笑顔を浮かべて、音楽を楽しんでいる自分が映っていた。
あれから数ヶ月が経ち、吹奏楽の人たちとは休日に遊びに行ったり、お昼ご飯を食べに行ったりする仲になった。

久しぶりに開いたサックスは、これまでもずっとそうだったように、たくさんの新しい出会いの扉を開いてくれた。何より、島に自分の居場所を作ってくれた。
今月の終わりには、また別の演奏の機会が二つある。その先にまた、どんな出会いが待っているのか、楽しみにしている。