私は自分の好きなものを誰かに知られることが苦手だった。子どもの頃から皆、好きなテレビ番組や好きな漫画について話す中、知られることが「怖い」「恥ずかしい」と感じていた。
時が経つにつれてその感覚は薄れてきたが、なぜあんなにも苦手だったのか。自身を振り返ると、それは私の家庭環境が関係しているのではないかと気づいた。

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私が2歳の時に親が離婚し、母子家庭になった。ドラマや小説の中のシングルマザーは、一人で働きながら家事もしっかりこなし、お金や時間は全て子どもに捧いでいる。おしゃれする時間もない。そんな人間に描かれている。
しかし、うちの親は、不器用で欲深い人だった。
私を育てるために一生懸命働いてくれていたが、その分家事は疎かになった。ご飯を作ってもらえることが少なく、インスタントラーメンやコンビニ弁当を食べていた。洗濯物もなかなかしてもらえないため、学校で使った体操服は自分で洗うしかなかった。家は常に散らかっていた。しかし、おしゃれや恋愛には手を抜かない母。いつもお金に困っていた。

そんな母は、気分屋でもあった。気分が良い時はとても優しいが、少しでも機嫌を損ねると激昂するのだ。そんな母の側で育った私は、いつも母の顔色を伺うようになった。
機嫌を損ねないような振る舞いを心がけ、喜んでもらえるような言葉をかける。それでもなかなか機嫌損ねてしまうことが多々あり、私は自分の気持ちや意見を押し殺すようになった。母のことは嫌いではないし、一人で働きながら育ててくれたことに感謝はしているが、居心地のいい環境ではなかった。

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人の顔色を伺ったり自分の気持ちを押し殺して過ごす癖はなかなか抜けず、無意識にやってしまう。
「好きな漫画はなに?」と聞かれたら、相手の好きそうな漫画はなんだろうと一瞬頭で考えてから答える。「好きな芸能人は?」と聞かれたら、誰を好きと答えたら喜んでもらえるだろうと考えて答える。そんな癖が付いてしまったので、「本当に自分が好きなものについて話す」ということの難易度が私にとってはとても高く感じた。
だから私は、好きなものを誰かに知られることが苦手。見せてはいけない部分を見られているようで、怖く恥ずかしかった。

大人になった今、一人暮らしをすることで母と程よい距離感になった。実家に頻繁に帰るわけではないため、帰った時だけ機嫌を取り、良い関係を保てている。家族でも距離感というのはとても重要であると知った。
恋人ができたり、親友ができたりする中で、自分のことを打ち明けた方がより仲が深まるということも知った。「相手のことを知るためにはまず自分のことを知ってもらう」そんな当たり前のことができていなかった。
まだまだリハビリが必要だと思う時もあるが、昔と比べるとだいぶ自分の好きなものについて話すことができるようになってきたように思う。何事も時が解決してくれるのだと実感している。
これからも、本当の自分を見せることができる人たちとの繋がりを大事にしていきたい。