大学1年生の初めての夏休み。私は19歳の誕生日を異国の地で迎えたくて、飛行機に飛び乗った。
国内ですら一人旅をしたことがなかったのに、向かった先はイギリス、ロンドン。当時、爆発的人気だったボーイズバンド誕生の地に行きたかった思いと、私の中で外国=イギリスというイメージだけで決めた。親には反対されたものの、私の頑固さが勝ってなんとか漕ぎ着けた1週間の旅だった。

この旅で振り絞った勇気の思い出は3つ。

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まずは、飛行機の配膳サービスでの勇気。約12時間という長時間のフライトだったため何回か食事の提供があった。
食事はビーフ・オア・チキンで単純なのだが、問題はドリンク。1番発音しやすいオレンジジュースばかり頼んでいたが、純粋に水が欲しくなった。しかし意外とウォーターが通じないことに気がついた。
何度か言い直しても通じなくて、指差しをしてようやく貰えた。小学生でも知っている単語が伝わらないことに大変ショックを受けたものの、ここで諦めてしまっては成長しないと勇気を振り絞った。結局、往復のフライトで一度も言葉のみで通じることはなかった。
それでも挑み続けたのは、私の強がりであり挑戦であった。言葉だけで通じるようになったのは、それから1年後だったが。

2つ目の勇気の思い出は、ロンドンのパブに行ったこと。パブとはバーで、そこでフィッシュ&チップスを食べたかった。日本でも一人でバーや居酒屋には行かないのに……とお店が近づくにつれて素通りをしたくなった。
しかし、行かなかったことに後悔をしたくない一心でなんとか入店。お店のシステムがよく分からずに、バーカウンターのスタッフに通されたカウンターにおどおどしながら着席。なんとか注文はできたものの、和気藹々とした雰囲気に怖気付いた。そして一人で座っているために、気を効かせたスタッフに話しかけられるのを怖れ、電話をしているふりをした。日本語で。
今思い返しても、なんという愚かしさと赤面してしまう。それでもあの場に居座ったことには拍手を送りたい。

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そして、最後の勇気は唐突におとずれた。私はどうしても食べたかったレアチーズケーキがあり、そのお店を探し歩いていた。
事前にこれでもかと思うほどに地図を読み込み、手持ちのマップにも記していたのにいつまでも辿り着かない。マップには載っていない地域まで来てしまったことに気がついて、パニックになった。まだ真昼間だったが、元の場所に戻ることすらできないのではないかと猛烈に不安に陥った。

このままでは夜になってしまう……と焦り出した時、犬の散歩をしている男性が話しかけてきた。この辺りに住んでいることは明らかで、道を聞くのならこの人がベストなことは一目瞭然だった。
しかし、私の英語が出てこない。急にフライト時のウォーターが伝わらない問題を思い出し、今回も頑張ったところで無駄なのではないかと諦めが頭をよぎった。それでも、思い直して「I want to go to this shop.」とカタコトの英語で伝えた。マップを指差しながら。
そうすると、その男性は私の持っているマップを覗き込んで見てくれた。急に覗き込まれたものだから、距離の近さに驚いてしまったのが本音だったが、緊張で動けなくなった。そしてとても丁寧に指示をもらって、無事にお店に辿り着いた。

お目当てのチーズケーキが目の前に出てきた時、急に自信が湧いてきたことをよく覚えている。そのケーキは、写真に載っていたような可愛いお皿には乗っていなかったし、なんなら紙皿だった。それでも、想像していた味の数倍も美味しくて、甘くて、私がこのケーキを食べるまでに振り絞った勇気が味覚として私の中に吸収されていった。

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その後は、行けたらいいなと思っていたお店でショッピングをしたり、朝にホテルの周りを散歩したり、公園のベンチでぼーっとしたり、予定になかったことまで進んで行った。緊張はどこかに飛んでいって、まるで長らくロンドンに住んでいたような雰囲気でいた。
そんな都合の良い勘違いは実は大切で、その後のヨーロッパ、アメリカ、東南アジア、中東と旅をする時も忘れずにいることの一つになった。

大人になれば勇気を出す機会はどんどん減っていく。それは、慣れや経験からの予測が緊張感を薄めるからであろう。舐めてみないと分からない体験も減っていく。
それが悲しいことなのかは分からないが、もう勇気を五感で感じることは少ないというのであれば寂しい。だからこそ、まだ経験していないことを進んでやっていきたいと思う。
そして心地悪いほどの緊張をして勇気を出して行っていく。そしてそれを体感したい。そうすることで、私はいつまでも不完全だと、やることがこの世界には満ちているんだと勇気をもらえるから。